Act.7




 

 

シカゴからN.Yへと戻った俺を空港まで迎えに来ていた運転手と一緒に、芹沢の姿も見えた。

その芹沢の硬い表情を見る前から、もしかしたら俺は分かっていたのかも知れない。

N.Yへと戻る飛行機の中で感じていた不安が、益々膨れ上がってくるのを感じていた。

眉間に皴を寄せ、襲い来る不安を誤魔化すように苛立ちを露にしている俺に、芹沢が緊張したように告げる。

 



「お帰りなさいませ。」



 

硬い表情のまま、そう言う芹沢に「あぁ…」とだけ答えると、

芹沢は足早に車へと向かう俺の少し後ろに並び、報告を始める。

 



「申し訳ございません、司様。牧野様は、依然として見つかっておりません。

あれからすぐに、こちらの空港やホテルの近くに、

牧野様らしき方がいらっしゃらなかったかお調べ致しましたが、何の情報も得られず…。

唯…」



 

言い難そうにそこで言葉を切った芹沢を睨み付けるように見て、

 



「唯、何だ?」



 

と続きを促すと、

 



「は、はい…。メープルホテルに程近い大通りで、人身事故があったようです。

時間的に考えても、牧野様がホテルを出てからすぐの事故でしたので、

牧野様の可能性も考え、念の為、付近の病院を調べさせております。

何でも赤信号だったにも関わらず、その女性が飛び出して行ったそうなのですが、

突然の出来事だったようで、その女性がどんな方だったのかなど、

詳しい事はまだ分かっておりません。」



 

と、硬い口調で話した。

 


事…故…だと?

赤信号に飛び出した、女…?

 

まさかアイツに限って、んな事あるはず…

 

だが、信号を確認する余裕もない程、アイツの気が動転していたら?

1つの事を考え始めると、全く周りが見えなくなる奴だ。

可能性が、ない訳じゃねぇ…


 

暴走しそうになる感情を押し殺す為に、拳を力任せに握り締め、芹沢に呼びかける。

 



「芹沢…」



 

余りにショックな報告に、俺の声が低くなるのを抑えられない。

俺の呼びかけに、「はい。」と答えた芹沢に、

 



「付近の病院だけじゃなく、N.Yにある病院全て調べろ。

総合から町医者まで、全部だ。俺は一度ホテルに戻る。」



 

そう告げ、車に乗り込んだ。

 

シカゴからN.Yへ戻って来るまでに、約3時間。

その間に見つけられなかったと言う事は、

さっき芹沢が言った事故に巻き込まれている可能性が高いだろう。

だが、それだけは信じたくなかった。

 


事故になんて、巻き込まれてねぇよな?

お前は無事だろ?

 

なぁ、つくし…

お前、マジで今、どこにいんだよ…


 

先走る感情に、グルグルと回る思考。

嫌なものばかりが渦巻く感覚に耐え切れず、俺は静かに目を閉じた。

だが、目を閉じるとどうしても浮かんでくるつくしの姿。

離れている時に見ていたものは、いつもアイツの笑顔だったのに…。

今浮かぶつくしの姿は、不安そうな、泣きそうな、

でも必死でそれを堪えている姿しか浮かんでこない。

 



「クソッ…」



 

目を開けると同時に、思わず俺は呟いていた。

ビジネスに携わるようになってからのここ数年、

感情をコントロールする事にもポーカーフェイスを装う事にも慣れたはずなのに、

今はこの感情をどうする事も出来ずにいる。

どうすれば安心出来るのか、どうすれば落ち着けるのか、そんな事、考えるまでもない。

 


つくしが俺の元に帰って来れば良い。

抱き締めて、つくしの体温を感じて、キスをして、つくしの存在を確かめて…。

つくしの笑顔が見られれば良い。

俺が無事だと伝えて、「心配したんだから!」と怒鳴られて殴られても、

最後には柔らかく微笑んで、「無事で良かった…」と言ってくれれば、それで良い。


 

そうする事でしか、安心出来ない。

それまでは、落ち着いてなど、いられない…。

 

つくしに泣かれるとどうして良いか分からなくなるのは事実だし、

泣かせたくないと思っているのも事実だ。

だけど、この際、涙を見たって構わない。

不安だったと、怖かったと、俺の胸を叩きながらでも何でも、

そう言って泣いてくれたって構わない。

そうすれば俺は泣いているつくしを抱き締めて、

不安にさせてごめんと、怖い思いをさせて悪かったと、

つくしの背中を撫でながら謝る事が出来るだろう。

だけどそれは、全てつくしが見つかってからの話で、つくしが俺の傍にいて初めて出来る事で…。

 


力いっぱい抱き締めて、苦しくなる程キスをして、

俺が近くにいる事を嫌と言う程感じさせてやるから、

 

だから、つくし…

早く、俺のところへ戻って来いっ…


 

車の窓から流れ行く景色を見つめながら、俺は強くそう願った。

 

 

 

ホテルに着くと俺は2人で使っていた部屋へと直行し、

つくしの所持品の中で無くなっているものがないかを調べたが、

余程慌てて部屋を飛び出していったんだろう、財布も携帯も部屋に残ったままで、

つくしが持って出たと思われるものは何もなかった。

今朝、俺が出て行ったままの状態の部屋で変わっていたのは、

婚約発表の時につくしが言う挨拶が書かれた数枚の書類が、

リビングのテーブルの上に散らばっている事だけだった。

俺が用意させた服も、バッグも、靴も、つくしが綺麗に片付けたままの状態で置いてある。

出掛ける時にはいつも来ていたコートさえもそのままで、思わず俺は、

 


風邪ひいたらどうすんだ、あの馬鹿…


 

と然して重要でもない事を考えて、そんな事を思わず考えてしまう自分に呆れてしまった。

N.Yに戻って来た事と2人の部屋へと戻って来た事で、

少し、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻した俺は、携帯を取り出し、

俺をホテルに送り届けた後、社へと戻った芹沢に電話をかける。

 



「俺だ。多分、つくしは身元を確認出来るものを何も身に着けてねぇはずだから、

病院を調べる時につくしの名前を出しても、見つかんねぇかも知んねぇ。

身元不明の患者が運ばれてねぇかどうかも、ついでに確認しとけ。

何か分かったらすぐに連絡しろよ、良いな。」



 

用件だけ伝えてすぐに電話を切った俺は、

まだつくしの香りの残るベッドへと仰向けに沈み込んだ。

 

たった数時間。

まだ別れてから、1日も経っていない。

なのに、もう何日も何週間もつくしに触れていないような、そんな感覚に襲われる。

 


会いてぇよ…

今すぐ、お前に会いてぇよ、つくし…


 

閉じた瞼の裏に、「行ってらっしゃい。」と笑うつくしの笑顔を見た俺は、

 


俺が弱音吐いてる場合じゃねぇんだけどな…

こんな俺の姿を見たら、お前、ぜってぇ怒るだろ?

 

何やってんのよ!ちゃんと、仕事しなさいよっ!

 

ってさ…

 

でもな、つくし…

本当は仕事の事なんて考えてらんねぇ位、心配で仕方ねぇんだぜ?

幾ら俺でも、不安になる時だってあんだよ。

お前、ちゃんとそれ、分かってんのかよ…

 

ホント、お前の趣味だよな、俺を心配させるのは…


 

と、俺に笑顔を向けるつくしに苦笑する。

 

金も地位も権力も、そんなものを失う事などこれっぽっちも怖くない。

そんなものを失っても生きていける。

だが、つくしと言う存在を失ってしまえば、俺は息の仕方さえも忘れてしまう。

つくしのいない世界など、何の意味も価値もない。

そんな世界でなんて、俺は生きていけない…。

 

つくしの存在は、俺にとっての全てだ。

今ではもう、つくしがいない間、自分がどうやって生きていたかなんて思い出せない。

いや、違う…。

つくしに出逢う前の俺は、生かされていただけで活きてなんていなかったんだ、初めから。

つくしに出逢って初めて、俺は自分で活き始めたんだ、きっと。

 


アイツも、こんな思いを味わったんだろうか…


 

ふと、そう思った。

俺が乗った飛行機が墜落したと言うニュースを聞いて、

つくしも今の俺と同じような事を思ったんだろうかと。

 

共に生きる事を誓った相手が、生きているのか、死んでいるのかも分からない状況で、

抱えきれない程の不安を抱きながら、それでも相手の無事を願って、戻ってくると信じて…。

それでも襲い来る不安に耐え切れなくて、つくしはこの部屋を飛び出して行ったんだろうか。

俺の無事を確認する為に、自分自身を安心させる為に…。

 


だとしたら、お前、本当に馬鹿だな…

そんなお前が行方不明になってて、どうすんだよ…

俺の方が、早くここに戻って来ちまったじゃねぇか。

 

なぁ、つくし…

俺はここにいるから…

ここで、お前の帰りを待ってっから…

だから…


 

そこまで考えて、俺は目の上に乗せていた腕の手を握り締め起き上がった。

と同時に、タイミングよく鳴る俺の携帯。

きっとこれは中村からの呼び出しだ。

 

携帯をスーツのポケットに突っ込んで、俺は部屋を後にする。

迎えに来た中村と共に車に乗り込んでからの俺は、

漠然と胸に渦巻く不安を打ち消すように仕事に没頭し始めた。

 

社に着いた俺は仕事をしつつ、

芹沢が集めた病院と言う病院から集められた患者のリストに目を通す。

だがその中に牧野つくし≠ニ言う名前は愚か、

俺の求める身元不明≠フ患者を見つける事は出来なかった。

時々見かけた身元不明≠フ患者は男性だったり、

年が違っていたりで、つくしとは違っていた。

 

まさか、その中の1つの総合病院に運ばれたレイラ・ピアス≠ニ言う人物が、

つくしだったなんて、この時の俺は想像すらしていなかった。

そして、そのつくしが、

自分自身に関する記憶の全てを失くしているなどとは、微塵にも思っていなかったのだ。

 

そんな俺がつくしを見つけたのは、つくしが行方不明になってから約1ヶ月半後の事。

街の中で見つけたつくしの姿は横顔で、

憂いを帯びながらも恋しているようなその表情は、

腹立たしい事に俺だけが目にする事が出来たのではなく、

N.Yの街にいる人間なら誰でも目に出来るような場所での事だった。

 

 

 





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