「どう言う…事だ…?」
朝、N.Yに来てからつくしと一緒に泊まっていたメープルから、
社へと向かう車の中で、信号待ちの為に停まった車から、
ふと窓の外を見た時に俺の目に入ったもの。
それはタイムズ・スクエアにある巨大な看板の内の1つだった。
確か昨日、俺がホテルへ戻る時にはなかったそれ。
その看板の中には憂いを帯びた表情をしながらも、
その視線の先は見えない恋人でも見つめているような、
そんな女の横顔の写真が大きく使われ、
風に靡く長い黒髪の部分には白字で大きく、
新・ファッションブランドのロゴLayla(レイラ)、
そして、その下辺りにロゴよりは小さくピアス・グループ≠ニ書かれていた。
ピアス・グループの展開する新・ブランドLayla
そのイメージモデルとして大々的に写し出されていた女は、
俺がこの1ヶ月半の間、必死に探していたにも関わらず、
結局何の情報も得る事が出来なかったはずの愛しい女、つくしにとてもよく似ていた。
俺が、よく似ていた…としか表現出来ないのは、
その看板に写るつくしが今までに俺が見た事のなかった表情を浮かべている所為だ。
俺の知っているつくしは、いつも元気いっぱいで、
コロコロと表情を変えるような、
忙しくも周りにいる奴等を温かく包み込むような奴で、
こんな憂い帯びた、淋しそうな悲しそうな、
何とも言えない表情を浮かべるような奴ではなかったからだ。
だけど俺の勘は、そこに写る女は間違いなくつくしだと告げている。
大きく写し出された、その透き通るような白い肌も、
儚げでも大きく澄んだその瞳も、小さいけれど形の整った鼻も、
真っ赤な果実を思わせるような小さな唇も、
その何もかもが今は記憶でしかない俺の中のつくしと一致する。
だが、俺の勘が幾らその看板に写る女がつくしだと告げたところで、
それは納得出来るものではない。
信号待ちの間、目を見開き、ひたすらその看板を凝視する俺。
そんな俺の頭の中を、何故だ?どうしてなんだ?と、疑問ばかりが埋め尽くしていく。
そして、そんな疑問で頭の中が埋め尽くされていく度に、早くなっていく俺の鼓動。
つくしが見つかった事への安堵と、無事だった事への喜び。
それと同時に湧き上がるのは、俺が必死でつくしを探していた間、
今まで全く連絡をよこさなかったつくしへの怒りと不安と焦り…。
正の感情と負の感情が混じり合い、複雑な感情となって俺の胸を突く。
「どう…して…」
どうして、無事なら無事と俺や会社の連中に連絡の1つも寄越さなかった?
どうしてお前が、ピアス・グループになんているんだ?
無駄に人目に晒される事を嫌っていたはずのお前が、
どうして、そのピアス・グループのモデルなんかになってんだよっ?!
看板の中の横顔のつくしに心の中でそう問いかけながら、
今にも爆発しそうな感情を抑える為に色が変わる程強く、自分の拳を握り締める。
何故、俺が傍にいる訳でもないのに、そんな顔をする?
お前のその視線の先には、俺ではない男がいる…のか?
だったら何故、そんなにも淋しそうな顔をする?
どうして、そんなにも悲しそうな顔をしているんだ?
俺の知っているつくしは、俺にはあんな表情を見せた事なんて1度もない。
あぁ、でも…
N.Yに留学中の4年間の間は、
無理して笑っている淋しそうな笑顔や悲しそうな笑顔を見た事があった。
だけど、どんな時でもつくしは笑顔で…。
不器用ながらも、自分の胸の内を悟られないようにと必死で隠していた。
それが俺の知っているつくしだった。
そんなつくしが何故…?
誰がどう見ても憂いを帯びている、その表情。
何があったのか、そんな事を今の俺が知る由もないが、
それでも人前でつくしがそんな顔をするだろうか…?
俺の勘が、そこに写るのはつくしだと言っていても、これでは全く別人だ。
周りにいる奴らに心配を掛ける事を極端に嫌うつくしが、
飛行機事故から1ヵ月半経った今でも、誰にも連絡を入れていないのも、
憂いを帯びた表情を誰かに見せるのも、
無駄に人目に晒される事が嫌いなはずなのに、モデルなんかをしている事も…。
全てが今までのつくしからは考えられない。
今までのつくし…?
別人…?
俺は自分で考えた事に、徐々に疑問を抱き始める。
と同時に、再び襲い来る漠然とした不安と焦り。
まさか…
俺が乗るはずだった飛行機が墜落してからのこの1ヶ月半。
メープルの近くで起きた人身事故に巻き込まれた女が、
つくしだと言う確証は、未だ掴めていない。
それでも可能性を考えて未だに集めさせているN.Y中の病院と言う病院から、
集めさせている患者のリストの中に、この1ヶ月半、
つくしの名前は愚か、俺の求める身元不明≠フ患者すら出て来ていない。
普通、身元不明≠フ患者が病院に運ばれれば、
捜索願が出ているであろう警察に届けを出すはずだからと、
警察にも手を回しているにも関わらず、その警察からも全く連絡が入らない。
そんな中で、何度もつくしは、まさかもう…≠ニ嫌な考えを俺は打ち消してきた。
最悪の結果ではなかった事に、看板の中に写る女を見ながら安堵するものの、
別人≠ノ成り代わってしまっているつくしに、俺の胸はまた騒ぎ始める。
まさか…
………。
いや、んな訳ねぇよな、つくしに限って…
過去に暴漢に刺された経験のある俺は、
無意識にでもつくしの事を考えすぎて記憶を失くした。
つくしの記憶…それだけを…。
当時の俺は、やっと暗闇から俺を連れ出してくれた、
つくしと言う存在を忘れた事で、
再び暗闇の世界へと舞い戻ってしまった事に焦り、
そして、つくしの記憶を忘れるまでは、
そんな世界にいなかったと言う自負が、
忘れていたつくしの記憶を思い出せない事と、
そんな自身への苛立ちへと変わり、俺はまた、唯の暴君へと成り下がった。
もし…
もし、つくしが当時の俺と同じなら…
ふと考えてしまった自分の考えを否定したくて、俺は軽く頭を振る。
つくしは…
アイツは、そんな馬鹿じゃねぇ。
考えすぎて俺を忘れるなんて、そんな事、ある訳ねぇよ。
そうだろ?つくし…
頭を掠めた嫌な予感。
そんな予感を俺が否定している間に、信号が変わり再び動き出した車。
その車の中から俺は、
そのつくしが写る看板が見えなくなるまで、ジッとその方向を見つめていた。
「芹沢、ピアス・グループが新展開したブランドの、
看板に使われてるモデルについて、早急に調べろ。」
社に着き自分のオフィスに着いた俺が、まず初めにやった事はそれだった。
病院の患者のリストを手渡していた芹沢が、その俺の一言に不思議そうな顔を見せる。
だが、それは一瞬の事で、すぐに表情を元に戻した芹沢は、
「畏まりました。」
とだけ告げると、俺に患者のリストを手渡し、その場を立ち去った。
第一秘書の中村が告げる今日のスケジュールを聞きながら、
俺は手渡された患者のリストに目を通す。
だが、やはりと言うべきか、そこに俺の求めるものはない。
「司様。」
リストに目を通し、無意識に近い状態で溜め息を吐いていた俺の耳に、中村が呼びかける。
「何だ?今日の予定なら、それで構わねぇぞ。」
「いえ、今日のスケジュールについてではなくて。
先程、芹沢に仰っておられましたピアス・グループの事ですが、
近々、新ブランドのレセプションパーティーが開催されます。
司様が出席される程でもないかと思い、控えさせて頂いておりましたが…」
渡りに船とはこの事か?
中村の言うレセプションパーティーは、小規模なもの。
幾らピアス・グループが、世界経済を牛耳っていると言っても、
大袈裟ではない程の力を持つ企業でも、
ピアス・グループの創立記念パーティーなどならいざ知らず、
その中の1つの会社が新たに展開したファッションブランド如きに、
本来なら俺が出向くような事はない。
だが、今回ばかりは話は別だ。
ピアス・グループのトップは参加していなくても、
モデルならきっと、あの看板に写っていた女も参加しているだろうそのパーティー。
彼女がつくしなのか、そうでないのか、俺自身の目で確かめる絶好のチャンスだ。
「そのパーティー、俺が出席する。
出席するはずだった奴にも、そう伝えておけ。
中村、スケジュール調整、頼んだぞ。」
「畏まりました。」
中村はそれだけ伝えると、部屋を後にした。
1人、部屋に残った俺は、その身をデスクチェアへと深く沈める。
椅子ごと身体を反転させて、全面ガラス張りの窓から眼下に映るN.Yの街を見下ろした。
色のない、寒々としたコンクリートジャングル。
その中は、あらゆる欲望と魑魅魍魎に埋め尽くされている。
息を吐く暇もなく時間に追われ、仕事に追われ、
疲れた身体に鞭を打ちながらでも、必死で戦ってきたN.Y留学中の4年間。
N.Yを離れてからもその生活がほとんど変わる事はなく、
寧ろその時よりも重い責任と立場を背負わされた、日本に戻ってからの1年間。
そんな長い間、俺が道明寺 司≠ニして前を向いて歩いて来れたのは、
俺にとっての唯一の光、何としてでも手に入れたかった、つくしがいたからだ。
そのつくしが、こんな灰色の世界の中にも、
汚れのないものが残っている事を俺に教えてくれていたからだ。
俺が仕事で岐路に立たされた時、
司は間違った決断なんてしない。
仮に間違ったとしても、アンタはその事態を好転さるだけの力を持ってる
そう言って背中を押してくれた。
俺が何かに迷っている時、
司らしくないじゃん!シャキッとしなさいよ。
アンタ、道明寺 司でしょ?
そう言って迷いなんて吹き飛ばしてくれた。
俺が辛い決断を迫られている時、
誰が何て言ったって、あたしは司について行く。
そう、決めたから…
そう言って優しく笑ってくれた。
そんなつくしがいたから、俺は今日まで前だけを向いて来れたんだ。
俺を支え続けたつくしの言葉、つくしの笑顔。
それなくして、俺が立っていられる事なんてあり得ない。
だけど、今は、そのつくしが傍にはいない…。
「つくし…早く戻って来いよ…。
じゃねぇと俺、もう充電切れちまいそうだぜ…」
眼下に広がるコンクリートジャングル。
その中に存在するN.Yの街並み。
どこかに必ず存在するはずのつくしの存在。
たった1人の小さなその存在が、俺には途轍もない程の力を与えてくれる。
小さくても何ものにも代えられない輝きを放つ、
希少価値の高いダイヤのような、俺の、俺だけの、愛しい女…。
つくしだけが欲しい。
つくしでなければ意味がない。
つくしだけを、唯一心に愛してる…。
そんな事を考えながら俺はまた、1日の仕事を片付ける為に自らの意思で、
コンクリートジャングルの中に身を投じていった。
今朝見た看板に映っていた彼女がつくしであるようにと、
そのつくしが俺にまた笑顔を向けてくれるようにと、
今すぐにでも戻ってきてくれるようにと、そう願いながら…。