Act.5


 

 

 


ここは、一体どこだろう…。

ただ真っ暗で、何も見えない。感じない…。

あたし、一体、どうしちゃったの…?


 

そんな真っ暗な世界を、あたしは宛てもなく彷徨い歩き続ける。

何もない世界の中で、何か見つかると思っている訳でもなく、ただひたすらに。

考える事を拒否したように、あたしの頭は全く動いてはくれず、

自分で動かしている足さえも無意識だった。

自分の身に何が起こったのか、今、あたしはどこにいるのか、

そしてどこに向かっているのか…。

何1つ分からないのに、あたしの足は何かに導かれるように1点を目指す。

意識は彷徨っているだけでしかないのに…。

暫らく真っ暗な闇の中を彷徨っていると、遠くの方から声が聞こえた気がして、ふと立ち止まった。

 


何…?

誰か、呼んでる?


 

そう思って後ろを振り返ってみても、その先に見えるのはやっぱり真っ暗な世界だけ。

一度呼ばれたような気がしただけで何も聞こえなくなってしまったから、

勘違いだったのかと思ったら、また勝手に足が動いた。

 



『つくしっ!』



 

すると今度は、はっきりとそう言った声が聞こえた。

その言葉が何を意味しているのかも分からないのに、

自分が呼ばれたような気がしてまた立ち止まり、後ろを振り返る。

やっぱり真っ暗な世界しか広がっていないけれど、

その声のした方向が本当にあたしの向かわなきゃいけない場所のような気がして、

その場から動けなくなってしまった。

 


誰…?

今の声は、誰の声?

つくしって?

それは、あたしの名前なの?

誰が呼んでるの?

 

ねぇ、見えないよ…

真っ暗で、何も見えないの。

あなたは、誰なの?


 

目を凝らせば何か見えてくるのかと、一生懸命目を凝らしてみるけれど、

真っ暗な世界はどこまでも闇でしかないのか、一向に何も見えてくる気配がない。

 



『つくしっ!そっちじゃねぇよ!お前の行く場所は、そっちじゃねぇ!』



 

黙ったままジッと声のする方向を見つめていると、また同じ声がそう言った。

 


そっちってどこ?

あたし、今、どこに向かってるの?

 

ねぇ、あなたはどこにいるの?

声だけしか聞こえないの。

何も見えないのよ…


 



『何やってんだよ、お前…。そっちじゃねぇって言ってんだろ?こっちだ、来いよ。』



 

今まで遠くの方からしていた声が、今度は真近くで聞こえたと思ったら、

不意にあたしの手に温かい何かが触れた。

思わず驚いて身体を強張らせたけど、それ≠ノは全く関係のない事なのか、

あたしの手を引いたまま、どこかへ連れて行こうとする。

 


人の手だ…

あたしの体温よりも、少し高い体温の人の大きな手…


 

そう思った時にはあたしはその手に引かれるままに、どこかへ向かって歩いていた。

この暗闇の中では目的地が見えず、どこに向かっているのか分からないのに、

あたしの心臓はドクンッドクンッと徐々に早くなる。

 


どこへ向かってるの?

そこには、何があるの?


 


ドクンッ ドクンッ ドクンッ


その先に何があるのか考えれば考える程、あたしの心臓の音が煩くなる。

 


嫌だ…っ

嫌だ、嫌だっ!

そこがどこだか分からないけど、あたしはそこへ行きたくないっ!

その世界には、何もないの…

あたしの大切な人が、そこにはいないのっ!


 

そう思ったあたしは思い切りあたしの手を掴んでいた手を振り払って、その場に座り込んだ。

 

あたしの体温よりも少し高い体温。

あたしの手より一回り程大きな手。

あたしの身体をすっぽりと包み込む大きな身体と力強い腕。

 


やめて…

思い出させないで…


 

動き出す思考を止めるように、あたしは自分の頭を両手で抱える。

 


あたしはもう、何も見たくない。

真実なんて知りたくないのっ!


 

その身体の中から聞こえる音は、あたしを安心させてくれる。

その身体から伝わってくる体温は、あたしに安らぎをくれる。

その身体から発せられる低い声は、あたしに愛≠伝えてくれる。

 


考えさせないで…

あたしに彼≠見せないで…っ


 

頭を抱え込むだけでは思考は止まってくれず、あたしは自分の髪をそのまま握り締めた。

 


彼のいない世界に、あたし1人でいたくない。

何も知らないままなら、あたしはまだこの世界にいられる。

何も分からないまま、何も感じないまま、何も思い出せないまま、穏やかなままでいられるの。


 

形の良い唇は、とても優しいキスをくれる事をあたしは知ってる。

綺麗に整えられた釣り上がった眉に、切れ長の鋭い眼は、

あたしにだけ優しい眼差しを向けてくれる事をあたしは知ってる。

他に類を見ない特徴的なその髪は、

触れるととても柔らかくて、指を入れるとその髪が指に吸い付くように絡みついてくる事をあたしは知ってる。

 


い…やだ… 止めて…

見たくない…

思い出したくない…っ

あたしは、彼を失いたくないのっ!


 

そのままの状態で見開いた眼に映るのは、沢山の顔。

誰の眼にも触れさせたくない、あたしの大切な…

 

 

 



『つくし』



 

優しくあたし≠呼ぶその声を、

 



『おはよ…』



 

ギュッと抱き締めてくれるその腕を、

 



『愛してる…』



 

真っ直ぐで迷いのない真摯な眼を、

その言葉を告げる唇を、

その言葉を発する声を、

 


あたしは、何1つ失いたくないのっ!


 

心の中でそう叫んだ時、あたしの耳に聞こえてきたニュースキャスターの女の人の声。

 



ここで一旦ニュースを中止して、速報が入りましたのでお伝えします…



 

そしてテレビに映し出された文字は、

 



N.YJFK国際空港、8時30分発、C.ALAX空港行き。〜便、墜落。】



 

その内流れ出した名前の中に、あたしは見つけてしまった。

 



T.Doumyouji



 

それを思い出した瞬間に、あたしの中の護り続けた何かが壊れた気がした。

 



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



 

何よりも大切だった。

誰よりも幸せにしてあげたいと思った。

どんな事をしてでも繋いだ手だけは離さないと言った。

もう二度と離れないと誓って、ずっと傍にいると約束した、世界で唯1人の愛しい人…。

 

 

 

タクシーを見つける為に大通りへと走っている途中、

近くに座っていたホームレスのおじいさんが持っていたラジオから聞こえてきたブレイキングニュース。

 



今回の飛行機事故に巻き込まれた乗客の生存率は、極めて低いと考えられます







と言う言葉。

その言葉に意識を取られて、あたしは信号が赤だった事にも気付かずに道路に飛び出して事故に遭った。

 

全て思い出したあたしの頬を冷たい雫が伝っては、床へと落ちていく。







この先に続いている未来には、幸せが待っていると思っていたの…

その幸せを2人で掴む為に、今まで色んな事を乗り越えてきたの…

挫けそうになっても、もう止めたいと思っても、

その先には必ず2人が目標にしていた未来があると思っていたから、

だから、どんな努力もしてきたの…

 

その為にして来た努力は、何だった?

その為に我慢して来た事は、無駄だった?

こんな結果の為に、あたし達は頑張ってきたんじゃない…

こんな結果を目標に、あたし達は沢山の我慢をしてきたんじゃないっ!

 

 

あたしを支え続けた司の愛情なしでなんて、

あたしはもう、1人で立ってはいられない…


司のいない世界でなんて、

あたしはもう、息も出来ない…


道明寺 司の存在しない世界で、

牧野 つくしは、生きていけない…

 

ここにいれば、何も知らなければ、あたしはあたし≠ナいられるの。

何も思い出さなければ、何も考えなければ、司≠傍に感じられるの。

真実を見なければ、あたしはここで、司の愛情だけに包まれていられる。

想い出の中だけで、生きていける…

 

だから…

あたしはずっと、ここにいる。

何も考えず、何も思い出さず、何も見ずに、

あたしは唯、司だけを感じる為にここにいる。

 



「あたしは、行かない…。もう、どこにも行ったりしない。

ここに…司の傍にあたしはいるの。」



 

上を見上げて、あたしの手を引きここまで連れて来た人に、あたしはそう言った。

今の今まで顔が見えなかったその人は、

あたしの前から消える一瞬、司の顔で淋しそうに笑った気がした。

 

 

 

 



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