「じゃぁ、行って来る。帰って来たら、婚約発表だからな。怖じ気づいて、逃げんなよ?」
ニヤリと挑発的な笑みを浮かべて、司があたしを見る。
「もし、あたしが逃げ出したらどうする気?」
あたしも対抗して司に挑発的な笑みを向けて、そう答えた。
「そこがどこだろうが見つけ出して捕まえて、その場で婚約発表してやる。」
フッと笑って司はそう言った。
「じゃぁ、あたしが逃げ出す意味なんてないじゃないの。
逃げ出しても無駄なんだったら、大人しくここで待ってるから、安心して出張行って来なさいよ。
アンタこそ、早く仕事終わらせて帰って来なきゃ、あたし、待ちくたびれて日本へ帰るからね。」
「おぅ、任せとけ。3日で終わらせて帰ってくっからよ。その間、キョトキョトしてんじゃねぇぞ!」
司はそう言うと、あたしの頭を押さえ込んで朝から濃厚なキスを仕掛けてくる。
苦しくなって司の胸をドンドンとあたしが叩くと、名残惜しげに司の唇があたしから離れていった。
「じゃぁな。良い子で待ってろよ。」
そう言って笑いながら、あたしの頭を軽くポンポンと叩く司。
「はいはい、分かってるわよ。行ってらっしゃい、気をつけてね。」
ホテルの部屋の扉から出て行く司の背中にそう言うと、司は後ろ手に軽く手を振って部屋を後にした。
ここはN.Yのメープルホテル、客室最上階より更に上に作られた、道明寺家専用のプライベートルーム。
あたしは1週間前から、ここに滞在している。
4年後必ず迎えに来ると約束して日本を離れた司は、あたしが英徳大学4回生に上がってすぐの頃、
道明寺財閥日本支社 副社長と言う肩書きを背負って日本へと帰国した。
約束通り迎えに来たからと、
『俺を幸せにしてくれるんだろ?』
なんて、半分脅しとも取れるプロポーズをし、昨年の春にあたし達は婚約した。
だけど、この婚約は世間には秘密。
あたしが大学を卒業する目処が立つまでは公にしない事を条件に、お義母様があたし達の婚約を認めてくれたからだ。
すぐにでも婚約発表をしたかった司は、この期に及んで、何のつもりだ?と、お義母様に噛み付いたが、お義母様の、
「大学在学中に発表する事で、つくしさんの身に危険が及んだらどうするつもりですか?」
と言う意外な発言に、渋々ながらもお義母様の条件を呑んだ。
そして、大学卒業の3月下旬を目の前に控えた、まだ寒さの残る3月上旬。
英徳大学を卒業する目処が立ったあたしは、ここN.Yで行われるあたし達の婚約発表に出席する為、
丁度N.Yへの出張が重なった司と共に1週間前にN.Yへとやって来た。
今回の出張中、司はL.Aにも1週間行く予定になっていて、今日がその出発の日。
司がL.Aから帰って来たら、道明寺財閥御曹司の婚約者として、あたしは全世界に紹介される。
司が4年後…と約束した時から、あたしはこの世界に入ると決めた。
だから大学でも経営学を専攻したし、司のいない4年の間、F3や滋さん、桜子から英才教育も受けた。
そして司からのプロポーズを受けた時、あたしは今まで生きてきた世界を捨てなきゃいけない事を覚悟した。
そうまでしても、司の手を離したくなかったんだ。
どこの世界にいても、あたしはあたし。
それだけは絶対に変わらない。
ずっと司の傍にいられる為なら、あたしはきっと何だって出来る。
その1つが婚約発表なんだ。
そう思えば、全世界に発表される事も怖くなくなった。
だから、ねぇ、司。
早く仕事を終わらせて帰って来なさいよ。
あたしの覚悟、見せてあげるから!
頑張れ、つくし!
雑草はどこででも育つ事が出来るんだからね。
自分に気合を入れ直し、あたしはバルコニーへ続く扉のカーテンを勢いよく開けた。
空は気持ちいい位、晴れ渡っている。
まるで、これからのあたしの未来は明るいと言ってくれているようだ。
そう思ったら、自然と笑みが浮かんだ。
「よしっ、婚約発表の時の挨拶の復習でもしようかな。」
清々しい気持ちで1人そう呟いて、あたしはリビングへと足を向けた。
部屋の外から、ポツリポツリと音がする。
目を通していた資料からふと視線を外し窓の外を見てみると、
司を送り出した時には、気持ちいい程、晴れ渡っていた空から1粒2粒と、雨が降ってきていた。
「雨…?今日は天気良いって言ってたはずなのに…」
最初は弱かった雨足が、段々と強くなってくる。
ふと時計を見た時には、司が出発してから4時間が過ぎていた。
時刻は午前11時45分。
司のフライトは8時30分だったはずだから、今頃、空の上だよね?
L.Aも天気悪いのかな?
そんな事を思いながら、テレビの電源を入れた。
天気予報を見たくてチャンネルを回していると、突然ブレイキングニュースの文字が画面に浮かぶ。
何かあったのかな?と思って、そのままチャンネルを変えずにブレイキングニュースに目を通していると、
N.Y・JFK国際空港、8時30分発、C.A・LAX空港行き。〜便、墜落。
と出ていた。
ニュースキャスターの女性が、今まで読み上げていたニュースを一時中断し、速報を読み上げる。
読み上げている内容も、画面に映し出されている事と何も変わらない。
な…に…?
どう言う事…?
突然の事にあたしの頭は全く理解出来ず、唯、テレビの画面を食い入るように見つめ、キャスターの声を聞いていた。
その内に流れ出す、乗客名簿。
JFK、8時30分発、LAX行き…
ねぇ、司…
アンタは、この飛行機に乗ってないよね?
仕事の都合で、遅れたりしてるよね?
大丈夫だよね?
な、何心配してるの?あたし…
司は大丈夫に決まってるじゃない。
そ、そうよ…
N.Y本社でトラブルがあって現地に遅れて到着するなんて、よくある事…
で、あたしにイライラしながら電話して来るんでしょ?
帰るのが、遅くなりそうだっ!≠チて…
いつも、そうだもん。
今回だって、いつもと、きっと何も変わらない…
ね?そうだよね?
祈るように、僅かな希望に縋り付くように、あたしはそう思いながら映し出されていく名前を見続ける。
握り締めた手が、汗ばんでくる。
喉がカラカラに渇く。
極度の緊張が、あたしの身体を支配する。
幾ら無事だと自分に言い聞かせても、溢れてくる不安を拭い去る事は出来ない。
どうか、お願いっ…無事でいてっ…!
そう願った時、あたしは見つけてしまった。
T.Doumyouji
と、見慣れない言葉で書かれた、この世界で誰よりも大切な人の名前を…。