司のオフィスに行った事もあって疲れたのか、邸に戻るとすぐに眠ってしまい、

目が覚めた時には、修と陵のお迎えに行く時間が迫っていた。

乱れた髪を整え、化粧を直し、部屋を出る。

 



「今から、修坊ちゃんと陵坊ちゃんのお迎えかい?」



 

部屋を出ると、先輩≠ェ声を掛けて来てくれた。

他の使用人さん達の手前、皆がいる時はあたしを若奥様≠ニ呼ぶ先輩。

あたしも家族以外の人達がいる時にはタマさん≠ニ呼ぶ事にしている。

 



「はい。少し眠っていたら、こんな時間になっちゃって…」



 

そう言って笑うあたしに、タマさんは苦笑する。

 



「本当にアンタは人に頼る事を知らない子だねぇ。

疲れてるんなら、1日位使用人に任せれば良いじゃないか。無理をすると、お腹のお子に障るよ?」

 

「えぇ。でも、やっぱり自分の子供を人任せには出来なくて…。

修と陵にも、迎えに来るからって約束しちゃったし…。

大丈夫ですよ、先輩。お腹の子に障る様な無茶はしてませんから。」

 

「だと良いけどね。アンタの大丈夫程、信用ない言葉はないんだよ。」



 

そう言って溜息を漏らす先輩。

口は悪いけど、先輩があたしを心配してくれてるのは、よく分かる。

ん?この場合、あたしの心配って言うより、お腹の子供の心配かな?

 



「あはは、すみません。でも、本当に今は大丈夫です。じゃぁ、お迎え行ってきますね。」

 

「行っておいで。帰って来る頃には、修坊ちゃんと陵坊ちゃんのおやつを準備させておくよ。」



 

そう言った先輩に「あたしの分も、お願いしますね。」と笑ったら、「また、アンタって子は!」と呆れたように笑われた。


 


道明寺のこの邸の中、家族以外であたしがあたしでいられる唯一の存在が先輩だ。

あの小さなお婆さんは、どこまでも大きな愛情であたし達家族を包んでくれる。

限りある人生の中で、こんなにも自分達を大切にしてくれる人に一体何人出逢えるだろう。

そんな事を考えたら、17歳の頃に先輩に出逢えたあたしや、生まれた時から先輩が傍にいる司や修や陵は、本当に幸せな人間なんだと思う。

 

1度、面と向ってお礼を言ったら、素直じゃない先輩に「何の事だい?」だなんてはぐらかされたから、

それからは心の中でお礼を言ってる。

 

「いつもあたし達を見ていてくれて、ありがとう」って。

 





 

車の中でそんな事を考えて1人微笑んでいた間に、幼稚舎に到着。

朝と同じ様にクラスまで修と陵を迎えに行く。

いつもは楽しそうな笑い声が聞えて来るクラスの中が、何だか今日は騒がしい。

そっと中を覗いて見ると、修と陵がクラスの男の子達数人と喧嘩していた。

止めている先生達も困惑気味。

あたしは只ならぬ我が子達の様子にギョッとして、慌てて止めに入る。

部屋に飛び込んだあたしの姿を見て、先生達が明らかにホッとした様子が横目にチラッと見えた。

 



「修、陵、止めなさい!何してるの!」



 

あたしの声にハッとした顔をした2人。

取っ組み合っていた男の子達は傷だらけなのに対し、修と陵はほとんど無傷だった。

 


流石、司の子…


 

と、あたしは内心苦笑しながら、相手の男の子達の傍で屈む。

 



「ごめんね、翔太君、拓也君…。痛いところない?」



 

血が出ていたところに持っていたハンカチを当てて2人の顔を見ると、目に涙を溜めているが、泣いてはいなかった。

 



「「大丈夫…です。」」



 


ん?です?


 

翔太君と祐也君は、それぞれ商社と貿易会社の社長を親に持つ御曹司で、

修と陵と仲が良くいつも幼稚舎にいる時は、いつも一緒に遊んでいた。

今まで、修や陵はもちろんの事、あたしにも敬語なんて使った事のない2人が、

あたしに「です」と言った事に違和感を覚えながらも、

あたしは何も言わずに、先生から借りた救急箱で2人に手当てしていく。

英徳に通い始めて半年程しか経っていないけど、

今までこんな喧嘩をしているところなんて見た事がなかったのに、一体今日はどうしたと言うのだろう。

 

翔太君と祐也君が少し落ち着いたところで修と陵に目を向けると、2人共目にいっぱい涙を溜めて翔太君と祐也君を睨みつけていた。

あたしが知る限り、この2人が誰かを睨みつけるなんて事はそうそうない。

いつだったかF2があたしをからかっていた時に、「ママを苛めるな!」と睨み付けたのを見た事がある位だ。

 



「修、陵、翔太君と祐也君にごめんなさい≠チて言える?」



 

2人を諭すように言うと、

 



「「俺達は悪くない!」」



 

と、反発する。

 



「何があったのかは分からないけど、翔太君と祐也君に怪我をさせたのは、修と陵よね?だったら、2人共、ちゃんと謝りなさい。」



 

それでもなかなか謝ろうとしない修と陵。

2人の様子を見ていると、翔太君と祐也君のママ達がそれぞれ迎えに来た。

 




「翔ちゃん、どうしたの?!その傷!」と、翔太君のお母さん。


「祐也?何かあったの?」と、祐也君のお母さん。



 

あたしは2人の子供をそのままに、翔太君と祐也君のお母さん達に頭を下げた。

 



「申し訳ありません。ウチの子達と喧嘩して、息子さん達に怪我をさせてしまったようなんです。」



 

あたしが頭を下げたままそう言うと、

 



「子供の教育が行き届いていないようですわね。ウチの子に何かあったら、どう責任取って下さるんです?」


「お宅の会社はどちら?ちゃんと慰謝料支払ってもらえるんでしょうね?」



 

と、とんでもない言葉が降って来た。

 


何なのよ、この人達…

たかが、子供の喧嘩でしょ?

それに、慰謝料なんて子供達の前でする話じゃないでしょうが!

子供の教育の前に、アンタ達の根性どうにかしなさいよ!


 

母親達の言葉にムカムカしながら、下げていた頭を上げて相手を睨み付ける。

 



「な、何よ…」


「子供が子供なら、親も親なのね…」



 

あたしの怒りに少し後退りしながら、それでも尚気丈に言い放つ母親達。

 


あったまきた!


 



「お言葉ですが、子供同士の喧嘩に親が口を出すのは如何なものでしょうか?

ウチの子供達が大事な息子さん達に怪我をさせたのは申し訳ないと思いますが、ウチの子供達にだってそれなりの理由があった筈なんです。

私はまだ、その理由と言うのを聞いていませんが、慰謝料云々のお話は、その後にして下さいませんか。

それに、そんな話を子供達の前でするなんて、子供の教育の前にあなた方の考えをどうにかなさったらどうです?」



 

本当はこんな人達に丁寧な言葉なんて使いたくない。

だけど、普段通りの言葉を使って、またとやかく言われるのも癪だ。

苛々する気持ちをどうにか落ち着け、冷静にと自分に言い聞かせる。

 



「な、何ですって?!失礼な!」


「どちらの方か存じませんが、あなた、私達にそんな事を言ってただで済むと思っていらっしゃるの?!」



 

プライドを傷付けられ、ヒステリックになる母親達。

あたし達の様子を少し離れた場所から、翔太君と祐也君、それから修と陵が強張った顔で見つめている。

 


子供の前で喧嘩するなんて…

あたしも、母親失格かも…


 

そんな事を考え、溜息を吐いたあたしに、目の前にいる母親達は顔を引き攣らせる。

 


言いたくはなかったけど、この際仕方ない…か。


 



「何か問題がありましたら、こちらまでご連絡下さい。私か主人が対応させて頂きますから。」



 

あたしはそう言って、LOUIS VUITTONモノグラム・ダンティル≠フキルステンから名刺を取り出し、それぞれに渡す。

その名刺に書かれているのは、あたしの名前と司のオフィスの住所と連絡先。

こう言った時に、自宅の住所や連絡先や携帯番号を教えてはいけないと、司から耳にタコが出来る程聞かされた。

何があるか分からないから、常に連絡先はオフィスにしろと。

名刺の名前を見た途端に、2人の顔色が変わる。

 



「ど、道明寺財閥、東京本部…」


「道明寺新支社長の奥様でいらっしゃったんですか?!」



 

掌を返した様に変わった2人の態度に、眉間に皴が寄るのが分かった。

 



「今回の件に関しては主人にも伝えておきますので、息子さん達に何かあればすぐにご連絡下さい。

改めてお詫びに伺いますので。怪我をさせてしまった事は、申し訳ないと思っているので、謝ります。申し訳ありま…」



 

そう言って頭を下げようとしたあたしのスカートの左右に、小さな力がかかる。

驚いて左右を見ると、修と陵がフルフルと首を横に振っている。

そして、翔太君と祐也君の母親の前に2人で立つと、

 



「「翔太君と祐也君に、怪我をさせてしまってごめんなさい。」」



 

と2人揃って頭を下げた。

そして2人は翔太君と祐也君の前に立つと、母親達にしたのと同じ様に、

 



「「ごめんなさい…」」



 

と謝った。

その時の2人の顔は、何故か悔しそうに歪んでいた。

あたしはきっと、この2人の顔を忘れないと思う。

 

翔太君と祐也君は母親達とは違い、修と陵が謝ったのをキッカケに2人とも修と陵に謝ってくれた。

4人の子供達を「良い子ね、偉いぞ。」と褒めて頭を撫でてあげたら、翔太君と祐也君は照れた様に笑い、修と陵はまた涙を溜めていた。

翔太君と祐也君の母親達は何度もあたしに頭を下げ、この事は公にしないで欲しいと泣きついてきた。

最初から、あたしにそんな事をするつもりは更々ないし、権力を使うのも、お金で解決するのも嫌いだ。

2人にはそのつもりはないと伝え、さっさとその場を離れる。

修と陵を連れて山本先生のところへ向い、今日、子供達に何があったのか聞く事にした。

先生からの話を聞いて、修と陵が何故悔しそうな顔をしていたのか納得…。

でも、その事実は、あたしにとってとても悲しく切ないものだった。

 
 
 
 
 
 
Act.7 『幼稚舎で。。。』