なるべく早くその子の様子を見に行きたいとのつくしの要望で、週刊誌が俺のオフィスに届いてから2日後、

俺とつくし、そして西田は亜門の息子が預けられていると言う児童養護施設に向った。

 

予め西田が施設へ連絡を入れていてくれたらしく、通された応接間の辺りは人払いをしていてくれたようだ。

 

応接室へと俺達を連れて来たここの園長と言う年配の女性が話してくれた、

亜門の息子がここに連れて来られた経緯は、2日前に西田が俺達に説明した通りだった。

 

ただ、施設の関係者が息子の享を母親の所に連れて行った訳ではなく、

施設の職員達が、亜門が亡くなった事で右往左往している間に、

その事を敏感に感じた享が、施設を抜け出し亜門と行った事があるのだろう母親の元へと、

自ら向ったのだと園長は話してくれた。

享が施設内のどこにもいない事に気付いた職員達は、必死で享を探す。

施設の外を探していた職員がもしかしたら…と、施設から程近い場所に住んでいる母親の家に向ったところ、

丁度享が母親に知らないと拒絶されているところだったのだと、

園長の横に座っていた若い男性職員が苦しげに話した。

それらのショックが一度に重なってしまった享は、全生活史健忘と言う名の記憶障害に陥っていると言う。

母親に目の前で拒絶された享は、泣くでもなく怒るでもなくただ表情を無くした。

施設の自分の部屋に着いてから一度も部屋から出ようとせず、

心配になった世話係の職員が見に行った時には穏やかな寝息を立てて眠っていたそうだ。



それに安堵した園長と職員達が享の異変に気付いたのは、翌日の朝。

施設にいる子供達を順番に起こしに行き享の部屋へ行った時、

享は既に起きていていつもの様にダイニングへ向う準備をしていたのだとか。

そんな享に声を掛けた職員に享は開口一番、

 



「享って誰?お兄ちゃん、誰?」



 

と不安そうな表情で聞いたそうだ。

それから医者へ診せたところ、全生活史健忘だろうと診断された。

 


全生活史健忘…


 

それは、自分の名前も年齢も家族も覚えていないのに、日常生活は普通に出来ると言う状態の事。

原因の多くは心因性のもので、時間が経つに連れ徐々に思い出していく事が多いとされているらしいが、

ショックが緩和されない事には何とも言えないらしい。

享の場合は、たった1人の身内だった母親に拒絶された上に、今まで傍にいた父親に至っては亡くなっている。

今までの記憶が戻る事は、期待出来ないと医者に言われたと園長は静かに涙を流していた。

 

 



「今の享君の様子、伺ってみますか?」



 

園長が落ち着きを取り戻した頃、男性職員が俺達にそう言った。

 



「直接会って話す事は出来ませんが、遠目から様子を伺う事は出来ますので…」



 

男性職員の言葉を聞いたつくしが、眼で俺に「行っても良い?」と問いかける。

 


まぁ、コイツの目的はそこだしな…


 

そう思った俺は、つくしの頭を軽くポンポンと叩いた。

 


 


 


享君の様子を見に行っても良いと司の許しを貰った後、応接間にいた全員で享君の部屋へと向う。

ここの施設は園長先生が個人で建てたものらしく、

普通一般の家よりは数段広い家を施設として改装したような感じだった。

古い建物のようで、施設の中はどことなく西門さんの家に似ている。

まぁ、あんなに広いお邸ではないけれど…。

ただ庭は日本庭園ではなく、子供達が遊べるように遊具が置いていたり、

砂場があったりと、公園のようになっていた。

 



「享君の部屋は、ここです。」



 

案内してくれる為に、あたし達の前を歩いていた先生がそう言って立ち止まる。

大きく取られた部屋の窓から、中の様子がよく見える。

8畳程の部屋に2段ベッドが2つ置いてあり、勉強机も2つ置いてあった。

 



「この部屋では、享君の他に小学生が2名生活しています。

ウチの施設では、幼稚園の子と小学生の子を一緒の部屋で生活させて、

なるべく年上の子に小さな子の面倒を見てもらうようにしているんです。」



 

先生がそう説明してくれる。

フッと部屋の中を覗くと、サラサラした綺麗な黒髪を短く揃え、スッキリした髪型の男の子が、

あたし達のいる反対の窓の外をジッと見つめている後姿が目に入った。

 



「あの子が、享君ですか?」



 

あたしの問いかけに、先生が頷いて答える。

 



「そうです。国沢さんが亡くなってから3週間。享君はいつもあぁやって窓の外を眺めているんです。」



 

特に何を見ている訳でもなさそうで、ただ外を見ているだけだと先生は言った。

 



「類…」



 

今まで黙って享君の様子を見ながら、先生の話を聞いていた司がポツリと呟いた。

 


類…って、花沢 類の事?

何で、ここで類の名前が出て来るのよ?


 

ん?と思いながら司の顔を見上げると、司は、

 



「昔の類に似てるんだよ、今の亜門の息子の様子…。もしかして、自閉症の可能性もあるんじゃないですか?」



 

あたしにそう答え、先生にそう質問する司。

園長が少し驚いた顔をして、

 



「自閉症と言うのは先天的な脳の発達障害なので、そう言う訳ではないのですが、

精神障害の可能性は否定出来ない、心を完全に閉ざしているようだとお医者様は仰ってました…」



 

と、答えた。

 



「この3週間、享君は一度も泣かないし、笑ったりもしないんです。

前はよくお友達と外に出て遊んでは、よく笑ったりしていたんですけど…」



 

園長の後を継ぐように先生が言った。

享君は最近では外で遊ぶ事も滅多になくなり、感情を表に出さなくなったと先生は言う。

 


そう言えば、類も昔、感情を表に出さなかったって言ってたっけ…

今の享君も、当時の類の様に自分の中に閉じ篭ってしまってるんだね…


 

そう思うと親の都合に振り回され、孤独に陥ってしまっている享君や昔の類が可哀想で仕方なかった。

同情ではなく、何とかしてあげたい、手を差し伸べたいと、そう思うあたしがいる。

類は静さんが自分を取り戻させてくれたと言っていたけど、じゃぁ、享君は誰が取り戻させてくれるんだろう…。

 

あたしがそんな事を考えていると、先生が享君と少し話をする為に部屋へと入って行くのが見えた。

部屋の扉を開けたまま中へと入って行った先生。

先生が部屋へ入って来た事に気付いた享君が、視線を窓から扉へと向ける。

扉を見た時にあたし達の方へと顔を向けた享君の顔は、本当に修や陵にそっくりで、司にもよく似ていた。

 

そんな享君の視線が、扉ではない場所で1点を凝視したまま止まる。

享君の視線の先を辿ると、司の顔に辿り着いた。

享君が自分を見ている事に司も気付いているようで、頭に?が飛んでいる。

 

すると突然、部屋の中にいた享君が部屋から飛び出して来た。

 



「うおっ?!」



 

部屋からまさに飛び出して来た享君は、司の足にしがみ付く。

突然、子供の全体重をかけたタックルを受けた司は、予想もしていなかった事に驚きを隠せない。

 



「きょ、享君!」と先生。


「も、申し訳ありません、道明寺さんっ!」と、園長先生。



 

2人共、司に失礼な事をしたと思っているんだろう。

その慌てようは、見ているこっちが可哀想になる位だった。

 

ギュッと司の足にしがみ付いていた享君の肩が、段々と小刻みに震えて、

 



「うっ…く…ひっく…」



 

と小さな嗚咽が聞こえて来た。

 


享君、泣いてる…?


 

あたしがそう思った時、

 



「うわぁ〜〜〜〜ん!」



 

と、大声で泣き出した。

あまりの声の大きさに一瞬ギョッとした司。

でもすぐに自分の足にしがみ付く享君を抱き上げ、何言わずに背中をポンポンと叩き始めた。

 


享君は司と亜門を間違えているのかも知れない。

でも、今はそれでも良いんじゃないかな…

やっと見つけたんだね、享君の安心出来る場所。

記憶がなくても、ちゃんと覚えてる。

 

享君にとってのパパ≠ェ、どれ程大切な存在だったのかって事…


 

良かった…と、あたしが少し安心したのもつかの間、

もう享君のパパはこの世にいないと言う事を思うと、胸が締め付けられる程の切なさを感じ、

あたしは浮かびそうになる涙を堪える為にギュッと自分の手を握り締めた。

 

 

 








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Act.7