ダイニングに来てみると、先にこっちへ来たはずの3人の姿が見当たらない。
どこに行ったんだ?と思っていた俺の耳に、
「ほら、一緒だろ?」
と言う、陵の声が聞こえて来た。
その方向は、ダイニングから続くバスルームのある方向。
どうやら3人は、バスルームの脱衣所にある鏡を見ているらしい。
俺達は足音を立てないようにそこへと近づき、物陰に隠れて3人の様子を伺った。
脱衣所にある洗面台は、大人の俺達に合わせて作られている為、
子供達は何かを台にしないと鏡で顔を見る事なんて出来ない。
修と陵が1人ででも手を洗えるように、
いつもそこには高さを2人に合わせた台が置いてある。
その台を動かしてきたのか、修と陵と享の3人がその台の上に並んで立ち、
鏡に自分達の顔を映していた。
修と陵よりも背が低い事を除けば、ほとんど変わらない3人の顔。
そんな3人の顔を鏡越しに見ていたつくしは、クスクスと笑いながら、
「ほんと、三つ子みたい…」
と、小さな声で呟いた。
つくしが見てもそう思う程、修や陵と享は似ている。
俺ですら、驚く程に。
週刊誌の雑誌記者が、ネタにしたい気持ちが分からなくもなかったが、
それが許せるものかと言われれば話は別だ。
享に会いに施設へ行く前に、しっかりと潰させてもらった。
今後、あんな記事が週刊誌を賑わせる事はないだろう。
「ほら、享の顔も俺と同じ!」
修がそう言って、鏡の中の自分の顔と鏡の中の享の顔を見比べている。
「俺とも同じだぜ。修と俺の顔も一緒だもん。」
陵もそう言って、自分の顔と享の顔を比べる。
「本当だ、僕も同じお顔…」
自分の顔をマジマジと見る事がなかったんだろう享は、
鏡に映し出された修と陵、そして自分の顔を見て、感心したように呟いた。
「な?一緒だろ?」
「だから言ったじゃん。俺達、3人共同じ顔だって。」
修と陵はそう言って、嬉しそうに話す。
そんな修と陵に享が、キョトンとした顔をして、
「ねぇ、修お兄ちゃん、陵お兄ちゃん…。どうして、僕達皆同じ顔なの?」
と聞いた。
答えられるのか?修と陵に…
俺はそう思いながら、修と陵が何と答えるのか興味があった俺は、
そのまま黙って3人の様子を見つめる。
「どうしてって言われても…」
そう言って困った顔したのは、修。
「俺達が双子だから?」
自信なさげに、修に問いかけるように聞いたのは陵。
「だったら、享はどうして俺達と同じ顔なんだよ?」
陵の答えに、疑問が増えた修は陵に問い返す。
「う〜ん、何でだろ?…あっ、分かった!」
何かを閃いたように、さっきとは違って自信満々な様子の陵。
一体、どんな答えが出たんだろうかと、その答えを待っていると、
「俺達がパパとママの子供だからだ!」
と、陵が答えた。
「だろ?」と陵が修と享に同意を求めると、
享は納得したように嬉しそうな笑顔を浮かべて、「そっか、そうなんだ。」と呟き、
反対に修は、え?と言うような表情を浮かべた。
「陵、享のパパは、俺達のパパじゃないじゃん。
享のパパはお星様になったって、ママが言ってただろ?」
陵の答えに納得出来ない修が、陵にそう言う。
「あぁ、そっか…。なぁ、享のパパって、どんなパパだったんだ?」
何気なく、陵にとってはとても自然に、享にそう聞いたんだろう。
だが、享にとっては不思議な質問以外の何物でもない。
「え?僕のパパは、パパだけだよ。」
不思議そうに、そう言って修と陵を見つめる享。
そんな享に、修と陵も不思議そうな顔をする。
「え?だって、ママが享のパパはお星様になったって言ってたぜ?」と、修。
「そうそう。ママはぜってぇ、嘘吐かねぇもん。
享のパパがお星様になっちゃったから、俺達のパパが享のパパになったんだろ?」と、陵。
享は、修と陵に何か言われる度に困惑したような表情を浮かべ、
訳が分からない所為か眼に涙を浮かべている。
「嘘じゃないよ。僕のパパは、パパだもん。僕、嘘なんて言ってないよ…」
享がそう泣きそうになりながら否定したのと同時に、俺の腕をつくしが引いた。
ふとつくしの方を見ると、
つくしは焦ったような、困ったような表情を浮かべて、俺に困惑の眼を向けている。
「どうしよう、司…。
あたし、修と陵にゆっくり話せば良いと思って、享が記憶喪失だって事言ってない…」
不安そうに揺れるつくしの瞳。
自分の所為で享を不安にさせたと言う、後悔を浮かべた表情。
そんなつくしの頭を俺は軽くポンポンと叩くと、子供達の前に姿を現した。
突然の俺の出現に、それまで困ったように、
戸惑ったように享を見ていた修と陵の表情が、驚いた表情に変わる。
そして、俺の顔を見た途端に泣き出す享。
「パパぁ〜!」
と、泣き出した享を抱き上げて、背中を軽くポンポンと叩いて落ち着かせる。
享が泣き出したのは自分達の所為だと思っているのか、
修と陵は俺に怒られると思って強張った顔をしたまま、
身体を硬くして俺を見つめている。
「ご、ごめんなさい、パパ…」
「享、泣いちゃった…」
どうして享が突然泣き出したのか分からずオロオロしながら、
不安で泣きそうな眼で俺に謝る修と陵。
そんな修と陵に「大丈夫だ。」と、俺が言おうとした瞬間、
つくしが修と陵を抱きしめた。
「ごめんね、修、陵。修と陵の所為じゃないの、ママの所為なの。
ママが、ちゃんと修と陵にお話しなかったから…。
大丈夫、司は修と陵を怒ったりしないわ。そうよね?」
修と陵に困ったように微笑みかけながら、つくしは俺に聞いた。
「あぁ、俺は別に怒ってねぇよ。修と陵は、俺に怒られるような事、何かしたのか?」
俺が2人にそう聞くと、2人は交互に、
「だって、享が…」
「俺達が泣かせたんじゃないの?」
と、俺の様子を伺うように聞いてくる。
そんな修と陵の様子を見ながら、俺は考えてしまう。
俺、そんなに修と陵を怒ってねぇんだけどな…
こんなに怖がらせるような事、俺、何かしてたか?
やべぇ〜…、会社の連中なら兎も角、自分の子供に怖がられてどうするよ、俺…
自分の考えに乾いた笑みが浮かぶのが、はっきりと分かった。
子育てと言うのは本当に難しい。
子供は大人の態度や感情を、大人が思っている以上に敏感に察している。
顔や態度にイラつきを出していないと自分では思っていても、
やっぱり行動の端々に出ていたりする時があるんだろう。
きっと修や陵は、
俺が会社での出来事にイラついたまま、邸に戻った時の態度を見て知っているはず。
自宅に仕事を出来るだけ持ち込まないようにしている俺でも、
感情をそのまま持ち帰る時はある。
つくしはちゃんと理解して受け止めてくれているが、
まだ5歳の修や陵に理解しろと言うのは無理な話だ。
イラついている俺の様子を見ながら、
「お帰り、パパ」と言いに来たのは1度や2度じゃなかったはずだ。
俺も、まだまだだな…
せめて子供達がもう少し大きくなるまでは、
イラついたりしている自分を子供達の前では見せねぇようにしねぇと…
そんな事を考えながら、俺は修と陵に微笑みかけた。
「今、つくしが言っただろ?悪いのは自分だって…。修と陵の所為じゃねぇよ。
だからって、つくしが悪い訳でもねぇんだけどな。
心配すんな、修、陵。これは、少し難しい問題なだけだ。また、後で話してやるよ。」
そう言った俺の言葉に、修と陵はホッとした表情を浮かべる。
そんな2人につくしが、
「修、陵、おやつ食べに行こうか。享?享も、おやつ食べに行こう?」
と声を掛け、俺の腕の中でまだグズグズと鼻を鳴らしている享に優しく言った。
おやつと言う言葉に反応したのか、享は俺の胸から顔を上げ、
まだ涙で濡れた顔のまま、「うん。」と頷くだけの返事を返した。
享の返事を聞いた途端に、つくしの顔に安堵の混じった嬉しそうな表情が浮かぶ。
つくしも不安だったんだろう。
精神的に大きなダメージを受けている享が、
自分が修と陵に記憶喪失の事を話さなかったばっかりに、
修と陵が何気なく言った言葉で、その傷を広げてしまったんじゃないかと。
そう思ってしまうつくしの気持ちが分からない訳ではないが、
そんなに過剰に反応する必要もないんじゃないかと俺は思う。
これから俺達が、
どうやって享をサポートしていくのか、ゆっくりつくしと話さねぇとな…
俺達の教育方針やら意見が噛み合わないままの状態で、子育てが上手くいくはずなんてない。
俺とつくし、両方が納得した事を子供達にしていこうと、修と陵が生まれた時に決めた。
価値観なんて、誰でも違う。
似ている事があっても、全て同じなどあり得ない。
夫婦って言うもんは、そんな他人同士が一緒になって成り立っているもんだ。
これから先、何十年もの時間を共に過ごそうと思ったら、
その価値観の違いと言うものを一緒にするように努力するのではなく、
お互いの価値観や意見を認め合わなければやってはいけない。
俺とつくしの価値観は、一般的に見れば大きくずれているだろう。
何不自由なく好き勝手しながら生きてきた俺と、
その日暮らしの生活に追われていたつくし。
そんな俺達が一緒に家庭と言う空間、
家族と言う繋がりを創り上げようとしているのだから、
お互いに相手を理解して受け入れていかなければいけない。
そんな俺とつくしが出した結論は、お互いに何でも話す事だった。
意見が擦れ違って、喧嘩になっても構わない。
それでお互いの事を理解出来るなら、そんな時間も時には必要だ。
今回、俺達が話さなきゃいけないのは、勿論、享の事。
修や陵と同じように育てていくと決めたとは言え、それだけでは解決出来ない事もある。
丁度、今のように…。
そんな事を考えながら、ダイニングまで享を抱いて歩いた。