Act.15 

 

 



「陵、遊びに行こうぜ!」



 

おやつを食べ終わった修が、同じく食べ終わった陵にそう言って声を掛ける。

司が修と陵のレッスンをお休みにしたから、

今日は普段より沢山遊べると、どこかウキウキした様子を見せている。

 



「うん!享も、一緒に行く?」



 

修に誘われた陵はそう言って席を立ちながら、

あたしの隣でまだおやつを食べている享に、そう言って声を掛けた。

 

子供の順応性と言うのは本当に凄いと、あたしは思う。

おやつを食べ始めるまでは、さっき享が泣いてしまった事もあって、どこかギクシャクしていたのに、

食べ終わった今ではもうすっかり元に戻っている。

それどころか享が自分達の中に入って来る事に、ほとんど違和感なんて持ち合わせていないようだ。

 

一口大に切ったケーキを口に入れモグモグと口を動かしながら、

口元に持っていったフォークをそのままに、

享は目だけであたしに「行っても良い?」と問いかける。

 



「享がお兄ちゃん達と一緒に行きたかったらね。

でも、ちゃんとおやつ食べ終わってからじゃないと、ダメよ。」



 

そう言ってニッコリあたしが微笑むと、

享は嬉しそうに笑って、「うん!」と言いながら頷いた。

そんな享を見ていた修と陵は、

 



「じゃぁ、享が食べ終わるまで待っててあげる。」


「うん!ねぇ、パパも一緒に遊べる?」



 

と、享が食べ終わるまでの間、暇になってしまった修と陵は、

司へとその矛先を変えた。

 



「俺?俺がお前達と遊べるのは、用事が終わってからだな。

それまでは、3人で遊んでろ。」



 

司が笑って修と陵の頭をクシャクシャと撫でると、2人は、

 



「絶対だよ?用事終わったら、遊んでね?」


「約束したからね?」



 

と、司に念押ししている。

 



「あぁ、約束な。

用事が終わったら遊んでやるから、それまで喧嘩したりすんなよ?」



 

司と修と陵が、そんな他愛もない話をしていると、享が、

 



「もう行っても良い?」



 

と、口の周りにケーキの屑を沢山つけてあたしに聞いてきた。

 


ぷっ…可愛い…


 

早く遊びに行きたいと意識がそっちへ向かってしまっているからか、

自分の口の周りが汚れている事には全く気付いていない享。

そんな享の様子に、思わず頬が緩む。

近くに置いてあるナプキンで享の口元を拭いてあげながら、

 



「行っても良いけど、ちゃんとご馳走様≠オてからね?」



 

あたしがそう言って笑うと、享はすぐさま両手を合わせて、

 



「ご馳走様でした。」



 

と言う。

ちゃんと言えた享に、「よく出来ました。」と言いながら、

頭を撫でてあげて席から下ろしてあげると、

待ってましたっ!と言わんばかりに修と陵が享を迎えに来た。

 



「享、行こう!」



 

そう言って享の手を握る修。

 



「パパ、絶対だからね!約束したからね!」



 

と、未だ司に念押しする陵。

そんな陵に司は苦笑しながら、

 



「分かったよ、後でな。怪我すんなよ?」



 

と、ダイニングから出て行く3人の姿を見ながら声を掛けた。

 



「「「は〜い!」」」



 

と返事をしながら、3人はダイニングから出て行った。

 

 

 



「お前、明日から大変だな…」



 

3人が出て行った後、

一気に静まり返ったダイニングに、司の低い声が響く。

 



「そんな事ないと思うわよ。

だってこの時間、修と陵はいつもレッスンの時間だし…。

享の様子だけ見てれば良いんだから…」



 

テーブルの上に残された子供達の食器を片付けながら、あたしは返事をする。

 



「そっか…。

よく考えてみりゃ、俺、この時間お前が何してんのかとか、

子供達が何してんのかとか、あんまり知らねぇんだよな…」



 

すると突然、物思いに耽ったように司がそう呟いた。

あまりに司らしからぬその様子に、

思わずあたしは動かしていた手を止めて司を見つめた。

 



「どうしたの、突然…」



 

訝しげな表情を浮かべたあたしに、司は苦笑し、

 



「何となく、そう思っただけだ。リビング行こうぜ。」



 

とあたしの頭を軽く叩いた。

 



「うん、コーヒー持っていくから、先に行って待ってて。」



 

あたしは司にそう声を掛けて、

子供達の食器を持ってキッチンへと向かった。

 

こう言う時の司は、何かを考えていたり悩んでいたりする時の司だ。

そして、そんな時の司は自分の中である程度答えが出るまで、

あたしに答えや意見なんかを求めたりする事はない。

でもそれは、仕事に関係する事だけで、

家族の事だったり、子供達に関する事なら話は別。

きっと司は今、享の事であたしと話をしなきゃいけないと思っているはず。

それは、あたしも同じだから…。

 

記憶のない享に、どう接すれば良いのか、

あたしは一瞬分からなくなってしまった。

幼稚舎に迎えに行った帰りに、修と陵に享の事を簡単に話はしたけれど、

記憶喪失の事までは言わなかった。

それが原因で、享を傷つけてしまったんじゃないかって、

享の傷をまた広げてしまったんじゃないかって、

美味しそうにおやつを食べる享を見ながら、あたしは思っていた。

だけど、そんな事は気にしていないと言うような修と陵、

そして享の態度に、あたしは少し困惑している。

自分の事に関して全くと言って良い程、記憶がない享。

そんな享の精神的に受けたダメージの事を考えれば、

いつでも修や陵と同じように…とは、きっといかない。

あからさまではなくても、享だけ特別…と言うような接し方がきっとあるだろう。

そんな時、修や陵はどう思うんだろう。

享は、どうして自分だけ?なんて思ったりはしないんだろうか…。

あたしは、どうすれば良いんだろう…?

そんな事を考えながら、司のコーヒーとあたしの紅茶を持ってリビングへと移動し、

ソファーで寛いでいた司の隣に腰掛けた。

 



「何考えてんだ?」



 

あたしからコーヒーカップを受け取りながら、「サンキュ。」と呟いた司が、

黙って隣に腰掛けたあたしの顔を覗き込むようにして、聞いた。

 



「うん、享の事なんだけどね…」



 

両手で持ったカップに口を付けながら、あたしがポツリと呟くと、

 



「今、俺も考えてたんだけどよ…。

お前は、享に本当の父親は別にいるとか、ちゃんと話すべきだと思うか?」



 

司は全面ガラス張りの窓から庭を見つめたまま、そう言った。

突然の司の言葉に驚いて、

あたしはカップを見つめていた視線を顔ごと司に向けた。

 



「え?話すべきなんじゃないの?そう言う事って…。

だって、享の記憶はいつ戻るかも分かんないんだよ?

その時に困惑するのは享じゃない…」

 

「俺は、話さなくても良いんじゃねぇかと思ってんだよ。

全く記憶がねぇんなら、

初めから俺達の子だったって事にしちまって良いんじゃねぇかと思ってる。

ちょっとした事が原因で記憶がないって事だけ享に話して、

その他の事は何も話す必要ねぇんじゃねぇかって…」



 

そう話しながら、コーヒーカップに口を付ける司。

 



「どうして?今は全然ないかも知れないけど、

亜門の記憶も享のお母さんの記憶も、享には大事な記憶だよ?

それなのに、何も話さなくて良いなんて言ってるの?

確かにその所為で、

享は記憶をなくす位のダメージを受けたのかも知れないけど、でも…」



 

何と言葉にすれば良いのか分からず、

あたしはそこで言葉を区切って口篭ってしまった。

そんなあたしに真っ直ぐな視線を向けながら、

 



「確かに情報として頭に入れておく分には良いのかも知んねぇ。

でも、それを聞いた享はどうすりゃ良いんだ?

俺とお前は本当の両親じゃなくて、

修と陵も本当の兄貴じゃねぇって聞いた享は、どう思うと思う?

本当の父親は?本当の母親は?って事になるだろうが…。

4歳児だから、そこまで難しく考えられなかったにしても、

何も感じねぇ訳じゃねぇだろう。

だったら、初めから俺達の子って事にして、

このまま享には何も考えさせなくて良いんじゃねぇかと思ってんだよ、俺は。」



 

司は、そうはっきりと言い切った。

そして、ふぅ〜と軽く溜め息を吐きながら、また視線を庭へと向けて、

 



「思い出した時は思い出した時で、

どうして俺達が本当の事を話さなかったのか、

その時にちゃんと話してやれば良いんじゃねぇか?

まぁ、嘘吐きって言われたり、享が荒れたりするっつー事は、

俺もお前も覚悟してなきゃなんねぇかも知んねぇけどよ。」



 

と、苦笑する。

 

何もなかった事にして、初めからあたし達の子供だったって事にすれば、

それは事実とは違ってしまう。

本当にそれで良いんだろうか。

享が失った記憶は、大切なものではないんだろうか。

 

司の言うとこは理解出来るし、

享にとってもその方が良いのかな?って少し位はあたしも思ったりする。

だけど、過去に司に忘れられた事のあるあたしとしては、

どうしてもすんなり納得出来る事ではない。

忘れちゃったから、その記憶を失くしちゃったから、

何もなかった事にして1から…て、本当にそれで良いのかな?って…。

享の場合と当時の司の場合とでは、状況も環境も大きく違うけれど、

どうしてもあたしの中にジレンマが付き纏う。

もし仮にこれが、司が記憶を失くしていた当時なら、

あたしは間違いなくなかった事になんてされたくない。

司が記憶を失くす前の出来事が全て揃って、当時のあたしだったのだから…。

 

そうは言っても、享のメンタル的な部分の事を考えれば、

初めからあたし達の子だったと言う事にしていて良いのかも知れない。

そうすれば、少なくとも思い出すまでの間、

享の心の傷が広がる事はないだろうから。

だけど最初から言われていた方が、

あたし達の本当の子供じゃないと享が知った時に受ける傷は、

何も知らないよりも浅いかも知れない。

それに今、事実を享に伝えていれば、

あたし達は勿論、享も全てを知った上で、

あたし達を家族≠ニして受け入れてくれる事になる。

唯、亜門の事を享に伝える事は出来ても、

あたしは享の母親の事を伝える事はきっと出来ない。

 

何も答えずに考え込んでしまっているあたしに、司は溜め息を吐きながら、

 



「事実を伝えるっつー事は後からでも出来る事だ。

とりあえずは、何も言わずに様子を見たって良いんじゃねぇか?

世の中には知らねぇ方が良いっつー事もあんだろ?

本来、嘘を吐くって事は悪ぃ事だけど、

時と場合によっちゃぁ吐かなきゃなんねぇ嘘もあるんじゃねぇかって俺は思うぜ。」



 

そう言ってあたしの頭を自分の肩に凭れ掛けさせた。

 



「うん、そうかもね…。

何が享にとって良い事なのかなんて、今の時点で判断するのは難しいのかも。

この事については、ゆっくり考えても良いよね?

それまでは享には事実を言わないで、最初からあたし達の子だったって事にしようか。

修や陵にもそう言わなきゃいけないね。」



 

司の肩に自分の頭を預けたまま、司の顔を見上げると、

 



「あぁ、そうだな。

とりあえず今は、享が受けたダメージの事はあんま意識しねぇで、

修や陵と同じように接してやれよ。

子供達と関わる時間は、間違いなく俺よりお前の方が長いからな。

俺もお前に任せっきりなんて事にはしねぇつもりだけどよ。」



 

と司は笑う。

 



「司はあたしに、子供達の事を任せっきりになんてして事ないじゃん。

今まで通りで良いんだよ、あたしも司も。」



 

そう言ってあたしも微笑んだ。

 

 

 



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