施設に享に会いに行ったのは朝だったのに、
色々と享の話を園長先生達から聞いている間に随分な時間を施設で過ごしていたらしく、
邸に戻って来た時にはそろそろ修と陵のお迎えの時間と言う頃だった。
享を引き取るかどうかの話を司と施設側がしている間に、
一緒に来ていた西田さんは今日の司のスケジュールを組み直すと言って、あたし達より先に施設を後にしていた。
邸に戻った途端に鳴る司の携帯。
西田さんは、どこかで司を監視してるのかしら…?
そんな疑問がふとあたしの頭を過ぎる。
………。
否定出来ないところが、怖いかも…
あたしが1人そんな馬鹿な事を考えてる間に、司は享を片手で抱いたままの状態で器用に電話に出て話し始めた。
「もしもし…。…あぁ、分かった。悪かったな。また何か問題があれば、すぐに俺に連絡してくれ。頼んだぞ。」
余計な事は何一つ話さず、それだけ言って電話を切った司に、あたしは聞く。
「仕事じゃないの?享の様子、あたしが見てるから仕事行って来て良いよ?」
司から享を受け取ろうと腕を伸ばすと、司はあたしの額を綺麗な長い指で弾き、
「ば〜か、誰が妊婦のお前に抱かすかよ。寝てる子供は重いんだっつーの…。
ったく、西田の野郎、やってくれるぜ。俺、この後オフだとよ。
その代わり、明日から3日間位は今日の分の埋め合わせしろってホザきやがった。
出来る限りの事は西田が片付けるってよ。」
と口は悪いながらも、そう言う司の瞳は笑ってる。
司はそう言ってるけど、内心は西田さんに感謝しているのが司の表情を見ているだけで分かる。
「西田が片付けられる仕事まで、俺に回すなっつーの…」とブツブツ言いながら、
司は子供部屋ではなく、あたし達の寝室へと足を進めた。
そんな司の後を追いながら、
「良かったじゃない、お休みになってさ。素直に西田さんに感謝しなさいよ、捻くれ者…」
そう言ってあたしが笑いながらからかうと、
「捻くれ者って、何だよ?!アイツはやる事が一々キザっつーか、押し付けがましいんだよ!
ったく、最初から今日の予定なんて空けときゃ良かっただけなのによ…」
と、少し顔を赤く染めて、司はぶっきら棒に言い放った。
ずっと抱いていた享を、ゆっくりとあたし達のベッドの上に下ろす司。
享はそれでも、司のスーツの襟元を放そうとしない。
そんな享に司は、
「享…俺、着替えて来てぇんだけど…」
と苦笑した。
「スーツの上着だけ脱いで、置いて行ったら?司が着替えて戻って来る間はあたしが享の様子見てるから。」
そう言いながら、あたしは司のスーツの上着を脱がせる手伝いをする。
悪ぃな…とだけ呟いて、司は着替えの為に寝室を出て行った。
司が寝室から出て行ってすぐ、享の眼がクルクルと動く。
あっ…起きちゃったかな?
とあたしが思った時、閉じていた瞼がゆっくりと開いた。
自分がいる場所が理解出来ない享は、眠そうな眼をパチクリと瞬きを繰り返しながら、部屋を眺めている。
「享、起きた?」
ゆっくりとあたしが声を掛けると、ビクッと身体を強張らせる享。
あたしは、そんな享の小さな手に自分の手を重ねて、
「大丈夫よ、怖がらないで。享、ここは今日から享のパパとママになるあたし達のお部屋。
あたしが今日から、享のママよ。宜しくね。」
そう言って微笑むと、不安そうに眉を寄せていた享の顔が少しずつ緩んでいき、緊張も解れて来たのを感じた。
「マ…マ?」
子供の寝起きの掠れた声。
まだ警戒した様に呟く享に、あたしは微笑んだまま答える。
「そうよ、享のママ。パパも、もうすぐ来るわ。あっ、ほら来たみたい…」
寝室の扉の向こう側から、司がこちらに向ってくる足跡が僅かに聞こえたと思ったら、
寝室のドアが静かに開いて、カジュアルな普段着に着替えた司が戻って来た。
「おっ、享、起きたのか。」
享に向って優しく微笑み、司がそう言う。
そんな司の顔をジッと見ていた享は、あたしに視線を戻して、
「パパ…?」
と尋ねる。
そんな享にあたしがニッコリ微笑むと、あたしが答える代わりに司が言った。
「そうだぜ、俺が今日から享のパパだ。享には、お兄ちゃんも2人いるんだぜ。」
享の横たわっているベッドの端に腰掛け、享の髪を撫でながら司がそう言うと、
「僕のお兄ちゃん?」
と不思議そうな顔で享が聞いた。
そんな司と享の会話を聞いていて、あたしはお迎えに行く時間が迫っていた事を思い出す。
「あっ、お迎え行って来なきゃ…。
享、ママお兄ちゃん達のお迎え行って来るから、パパと一緒にお留守番しててくれる?
すぐに戻って来るわ。司、少しだけ見ててくれる?」
司と同じように頭を撫でながら享に言う。
司は「あぁ、大丈夫だ。行って来いよ。」と、享の様子を見ている事を快く引き受けてくれた。
あたしもカジュアルで楽な服装に着替え、修と陵のお迎えに向う。
こんな日まで…と普通の人なら思うのかも知れないけど、
享を我が子に迎えると決めたからには、我が家の生活≠教えてあげなければいけない。
享は我が家に来ているお客様じゃない。
施設にいたからと言って特別に扱う必要など、どこにもないんじゃないかとあたしは思う。
今日、家に来たばかりで分からない事は沢山あるだろう。
だけど、そんな事には少しずつ慣れていけば良いだけの事。
大切なのは、両親を言う存在を教え、家族と言う繋がりを教え、そして愛情を教えてあげる事。
今の享が覚えなきゃいけない事で大切なのは、きっとそれ以外に何もない。
そう思いながら、今日からお兄ちゃんになる2人を迎えに幼稚舎へと向った。
あたしが修と陵のお迎えに英徳の幼稚舎へ行くと、
少し前に殴り合いの喧嘩をしたとは思えない程、以前と変わらずに翔太君と祐也君と遊んでいる修と陵を発見。
クラスの前まで迎えに来たあたしに、山本先生が声を掛けてきてくれた。
「こんにちは、道明寺さん。」
「あっ、山本先生…。こんにちは。前日は、修と陵がご迷惑をお掛けしました…」
あたしがそう言って頭を下げると、山本先生は、
「いえ、こちらこそ、子供の喧嘩を止める事も出来ずに…。申し訳ありませんでした。
あの日、修君と陵君と何かお話されたんですか?
お休みを挟んだ次の登校日、修君と陵君が翔太君と祐也君に自分達から謝りに行っていて…。僕達も驚いたんですよ。」
そう言って笑う。
そっか…
修と陵、ちゃんと翔太君と祐也君に謝ったんだね…
本人達からも聞いていたけど、こうして先生から聞くとまた少し違う。
その様子がリアルになると言うのか、何と言うのか…。
修と陵の事を信じていない訳じゃないから、謝ったよって聞いた時も本当に?なんて疑ったりはしなかった。
でも先生の話を聞いて、今、翔太君と祐也君と仲良く遊んでいる2人の姿を見ていると、
あぁ、司が話した事は間違いなんかじゃなかったなと安心し、約束を守った2人を嬉しく思う。
「えぇ、まぁ…。あの日、主人も早くに帰宅して修と陵と話す時間があったので、ちょっとした家族会議を。
修と陵は主人との約束をきっちり守ったようですね。」
そう言ってあたしが笑うと、山本先生は、
「道明寺さんのところは、子供さん達をとても良い育て方をしていらっしゃるんですね…。
道明寺さんみたいな女性となら、そんな家庭を築く事が出来るんでしょうかね?
羨ましい限りですよ、ご主人が。」
と優しく微笑んだ。
「先生ったら…。そんなお世辞を言ったって、何も出ませんよ?」
と、あたしが笑っていると、
「「あぁ―――っ!」」
と、突然聞きなれた声が大音量で響いた。
な、何?!
びっくりしてあたしが声のした方を見ると、修と陵が自分達のバッグを引っ掴んであたしの方まで走って来ている様子が見えた。
な、何なのよ…?
と、あたしがオドオドしていると、修と陵はあたしを護るように前に立ち、
「先生、ママはダメだって言っただろ?!ママは、俺達のママなんだからなっ!」
と、修が怒っている。
「そうだぜ!俺達からママを取ろうとするなんて、100年早ぇんだよ、先生!
ママも!そんな顔したら、パパに怒られるって言ったじゃん!」
と、先生に怒り、あたしにまで怒る陵。
100年早ぇんだよって、陵…
ばっちり、しっかり、司の口癖が移ってるじゃないの…
親の口癖が子供に移る…。
嬉しいやら恥ずかしいやら、言葉が言葉なだけに情けないやらで、あたしには苦笑しか浮かばない。
「ごめん、ごめん。でも修、陵、ママだって先生とお話位あるんだから…」
あたしがそう言って、2人に向かって苦笑すると、
「そんなの、俺達の前ですれば良いじゃん…」と修。
「そうだよ。それか、パパがいる時にすれば良いんだ。」と陵。
そんな無茶苦茶な…
こんなところは、完全に司のDNAだとしか思えない…
あたしの小さなナイト達は、
確実に邸で今、あたしの帰りを首を長くして待っているだろう本物のナイトの子供達だと思える事が嬉しい反面、
少し頭が痛かった。