葬儀の日、兄貴は棺の中で安らかに眠るつくしの頬にそっと手を添えて、
「愛してる…。永遠に、お前だけを愛してるから…。一旦、ここでお別れだ。また…な…」
と、震える声で囁き、冷たくなったつくしの唇に優しく最後のキスを落とした。
兄貴の静かなその言葉が、俺達の胸に突き刺さる。
またな…か。
死んだ人間には、あの世に逝けば会えると言われているが、
あの世で本当に会えたのかどうかなんて、向こうへ逝ってしまった人間にしか分からない。
だけど、兄貴は信じるんだな…。
今までの兄貴なら、そんな事信じようともしなかった、向こうの世界ってやつを…。
再び会える、そう思っていないと息も出来ないのかも知れないと、
相当な勢いで燃えていくつくしが眠る棺を見つめる兄貴を見ながら、俺はそんな事を考えていた。
この時が初めて、心から1人の女を愛していた兄貴を羨ましいと俺が思った瞬間だったのかも知れない。
俺達兄弟3人が束になったところで、兄貴を悲しみの淵から連れ戻せるかは分からない。
だが、大丈夫だとそう信じていなければ、俺もあきらも類もまいってしまいそうな程、つくしの死と言うものは、悲しい出来事だった。
それから1ヶ月が経った頃、今は亡き父親と母親だった人物の思惑通り、司は大大名の地位を継いだ。
総二郎達は司の計り知れない程の悲しみに直面し、司の支えになると決めたあの日から、司に代わって、仕事を引き受けていた。
それぞれ22になれば自分の仕事をしなくてはいけないが、それまではまだ自由の身である。
その立場を利用して、少しでも司の役に立てればと総二郎達は自ら司の陰となり仕事をこなしていたのだ。
つくしの葬儀の時の司の様子を知っている総二郎達には、司に掛ける言葉など見つかる筈がなく、そうする事で司の支えになろうとしていた。
「よう、あきら。兄貴の調子どう?」
朝からの一仕事を終えて、暫く兄貴の様子を見てなかったなと俺は兄貴の部屋を訪れた。
部屋の前に、俺より先に様子を見に来たのだろう、兄弟の中で一番心配性なあきらが兄貴の部屋の前から中を覗いていた。
「総兄…。どうもこうも…毎日、あの調子だぜ。」
あきらはそう言いながら、自分が覗く為に少し空けていた襖の先を指で指した。
あきらに言われるままに、襖の隙間から兄貴の様子をそっと伺う。
そんな俺達の視線の先には呆然と庭を眺める兄貴の姿があった。
「司兄さ、あれから部屋を出ようとしねぇんだよ。
女中が言ってたけど、食事も摂ってないらしいし、睡眠だって3時間も寝りゃ良い方だって…」
はぁ〜と深い溜息を吐きながら、あきらは襖に背中を預けた。
「それにしては、顔色も良いしヤツれてねぇじゃねぇか。女中がちゃんと見てねぇだけなんじゃねぇの?」
俺が兄貴からあきらへと視線を移してそう言うと、俺の後ろから返事が返って来た。
「あきら兄さんの言う通りだよ。司兄さんは、全く食事を摂ってないし、ほとんど寝てないんだ。
女中に頼んで、毎日俺に報告に来てもらってたから、間違いないよ。」
「ちょっと待て、類。あれから1ヶ月も経ってんだぜ?んな、バカな事ある訳ねぇだろ?!」
「うん、でも司兄さんって元々あんまり食べないじゃん?だから、大丈夫なのかな?って…」
大した事ないんじゃない?と言う様に淡々と話す類。
おいおい、いくら兄貴が変な奴だからって、そりゃおかしすぎねぇか?
そう思って俺はもう1度、部屋の中にいる兄貴に目を向ける。
類とあきらも、俺に続いて部屋の中を覗き込む。
「…顔色、良いよな?何考えてるか分かんねぇ程、腑抜けてるけど。」
「変って言えばさ、夜中、ふらっと城を抜け出してるみたいだぜ。」
「…!!まさか、女でも出来たのか?!」
あきらの言葉に、俺は咄嗟にその言葉が吐いて出た。
すると、
「そんな訳ねぇだろ?!」「そんな訳ないでしょ?!」
と、あきらと類の両方から鋭い突っ込みが入る。
「全く…総二郎兄さんじゃないんだから…」と、類。
「ホントだよな。司兄は総兄みたいに軽くねぇっつーの。」と、あきら。
…おいおい、お前等。
俺が救いようのねぇ男みたいに言うんじゃねぇよ…。
しかも、最近は兄貴の代わりで仕事ばっかで、遊んでもねぇっつーの!
俺は2人に反論するつもりで口を開きかけたが、自分が咄嗟に言ってしまった一言が原因で今の状況に陥ってしまっている。
ここは大人しく聞いておこうと思い直し、ぐっと言葉を飲み込んだ。
その代わりに、乾いた笑いを零して、
「兄貴に、俺位の甲斐性がありゃ良かったのにな…」
と呟くと、あきらには苦笑され、類に至っては「自分を正当化しないでよ。」と冷静に突っ込まれた。
っんとに、可愛げのない弟だぜ、お前等はよっ!
だけど…自分が言った事が一番有り得ないと分かっていたのは俺自身かも知れない。
幼い頃から、俺と兄貴は喧嘩相手で一途なところが俺と兄貴はよく似ていた。
ただ、兄貴は不器用で俺の様に一途に想える相手が居たとしても想い出に変える術を知らないのだ。
そんな兄貴だからこそ、俺以上に唯1人の女を深く愛せるんだろう。
だけど、こう言う時は辛い…。
想い出にしないまま、前へは進んで行けないのだから…。
そんな事を考えている俺の表情を、類に言われた一言で俺が落ち込んでいると思ったのか、あきらが慌てて話題を変える。
「そっ、それよりさ、最近城下じゃ物の怪騒ぎが起こってるって言うじゃねぇか。」
「あぁ、何かそんな事言ってたな。おいおい、それマズいんじゃねぇの?兄貴、夜中1人で城抜け出してんだろ?」
何の気なしにあきらの話を聞いていて、俺はハッとして聞き返す。
「大丈夫なんじゃないの?司兄さん強いし…」
暢気に欠伸をしながら類が言う。
「おい、類、お前それでも弟かよ。司兄が心配じゃねぇのか?」と、あきら。
いや、あきら。
お前は普通に心配し過ぎだぜ?
「あきら兄さんが心配し過ぎなんだって…。」
そらみろ、類にまで言われる始末じゃねぇか…。
まぁ、ここらであきらを助けてやるか。
「類、お前は緊張感なさ過ぎだっつーの。」
俺が一言そう言うと、類はあからさまにムッとした顔をした。
「でもよぉ、つくしもいなくなっちまったし、司兄が自殺願望なんか持っちまったらシャレになんねぇじゃん?」
おいおい、あきら。
お前はそこまで心配すんのかよ?
俺はあきらのその発言に頭を抱えた。
「あきら…。お前は心配し過ぎだ。お前と類、足して2で割った方が良いんじゃねぇの?
ってかよ、兄貴に限って自殺なんてする訳ねぇじゃねぇか。」
「だよね。そんな事したら、天国のつくしにはっ倒されるよ、きっと。」
自分で言った癖に、類は「有り得る…。絶対そうだ。」と言って腹を抱えて笑っている。
はぁ〜、幸せな奴だな、全くこいつは…。
俺と同じ事を考えていたのだろうあきらと目が合うと、2人揃って溜息を吐いた。
「でも、流石に最近の夜の城下は物騒だって話も聞くからな。止めた方が良いかも知んねぇ。」
俺がポツリとそう呟くと、一斉に2人が眉を寄せる。
「…総二郎兄さんが止めてくれるの?」
「げっ、何で俺が…。それは、弟の役目だ。と言う事で、あきら、頼んだぞ。」
「何で俺なんだよっ?!類にやらせれば良いだろ?大体、司兄が俺の言う事なんて聞くかよ?」
まぁ、確かに。
兄貴が八つ当たりする時は、決まってあきらに当たってたしな…。
「えぇ?!俺、絶対ヤダからねっ!」
滅多に声を荒げない類が、必死で抵抗している。
まぁ、無理もないか…。
つくしに出逢うまでの兄貴は、とんでもねぇ奴だったしな。
腑抜けてるとは言え、何をされるか分かったもんじゃない。
「じゃぁ、こうしようぜ。」
俺がそう言っただけなのに、2人はゆっくりと立ち上がり、そそくさとその場を後にしようとする。
「おいおい、まだ話は終ってねぇぞ?」
「ヤダ、総二郎兄さんの話なんて聞きたくない。」と、類。
「あぁ、何か俺も嫌な予感すんだよな…」と、あきら。
「お前等、ホントにそれでも弟かよ…。あんなんでも、一応俺達の兄貴なんだぜ?支えになるって決めたろ?」
俺の最後の言葉が効いたのか、2人は渋い顔をしながらもまた元の場所へと座りなおした。
「交代で兄貴を直居して、兄貴が抜け出したら後を付けるんだ。」
「絶対ヤダ!」
俺の言葉を聞き終わるか否かのところで、類が即座に反対する。
「何でだよ?他に何か良い方法でもあんのか?」
自分で良い案だと思っていたばっかりに、類に反対され少しばかりムッとした顔で俺が聞き返す。
「って言うか、何で司兄さんの行動を見張らなきゃいけないの?」
「じゃぁ、お前、止めさせろよ、兄貴が抜け出すの。」
「………無理」
「仕方ねぇ、類。諦めろ。」
俺がピシャリと言い放つと、類は暫く兄貴を止める姿を想像した様で、自分には無理だと判断し答えを出した。
その答えを聞いたあきらは、類の肩をポンと叩き苦笑した。
「そうと決まれば、今夜からだ。今夜は初日だから皆でやるか。類が寝こけてても困るしな。」
俺がニヤッと笑って類にそう言うと、
「分かってるんだったら、俺だけ外してくれても良いじゃないか…」
と、自分の睡眠時間が削られる事に不機嫌な顔をし、拗ねていた。
俺達は、兄貴の後を付けて行った先で、見てはいけないものを目にする事になる。
そして、その事実が、俺達兄弟の運命を大きく変える事になるのだった。