許さねぇ…
ぜってぇ、許さねぇ…
今まで俺は、こいつ以上に欲したものなんてなかった筈だ。
生きる気力も何もかも失って、唯ひたすら、俺の人生が終わりを告げるその時を待っていた俺に、
生きる意味や自分以外の誰かを愛する喜び、愛する人を大切にしたいと思う気持ち、
温かい感情全てを与えてくれたのは、俺が命に代えてでも守りたかったつくしだったのに…。
つくしは人を信じる事を俺に教えてくれた。
だから、俺はこの22年間1度も信用なんてした事のなかった母親を、この時だけでも信じてみようと思ったんだ…。
つくしを手に入れる為なら何でも出来た。
あんなに嫌っていた家を継ぐ事に決めたのも、その先につくしとの未来があると信じていたからだ…。
きっとつくしを殺せと命を出したのも、あの女だろう…。
つくしを襲った刺客達は、明らかに俺の家の刺客達だったのだから。
あの女は…いとも簡単に俺を裏切った挙句、俺の一番大切なものまで奪ったんだ!
跡目を継いで、この国を守ろうと決めたのも、ここに、この国でつくしが生きていたから…だからだったのだと言うのに…。
だがそれも、つくしが居ないなら何の価値もねぇ…
終わらせてやる、何もかも…
俺からつくしを奪った全てのものを、俺がこの手でぶっ潰してやる…
つくしを抱く腕に力が入る。
今の俺の中には、言い表す事の出来ない程の憎しみと悲しみが渦巻いていた。
城へ戻ると、ゆっくりと戻って来た俺とは違い、総二郎達は刺客を見つける為か随分と早くに城へ戻っていた様だった。
城門で類に黒曜を預け、つくしを抱いたままゆっくりと城へ入って行こうとする俺の背中に総二郎が呼びかける。
つくしを殺める様に刺客へ命を出したのは、やはり俺の母親だったと言い難そうにあきらが言った。
「兄貴…何するつもりだよ…?」
今の俺は兄弟達に声を掛ける事を戸惑わせる程、異様な空気を纏っているのだろう。
何も答えない俺に、そう声を掛ける総二郎の声が微かに震えている。
俺はゆっくりと総二郎達を振り返った。
「何をする…だと?んな事、決まってんだろ?」
俺の声は意外な程、落ち着いていて静かだった。
だけど、そこに滲み出る憎しみを隠す術を俺は知らない。
俺はそれだけ言うと、総二郎達が何かを話す前に城の中へと足を進めた。
夜中だと言うにも関わらず、俺の跡目の儀があったからか城の中はいつも以上に騒がしく、
普段ならこんな時間に出迎える女中などいないのに、今日は沢山の女中に出迎えられた。
黙って俺に頭を下げた女中が顔を上げ、俺の腕の中のつくしの姿を見つけるとひっ!と息を飲む。
そんな女中の姿さえ、俺をイラつかせ、そして憎しみを増やしていく。
「わっ若様!見ず知らずの人間の死体を城へ上げるなど、何を考えておられるのです?!どなたかは存じませんが、早く元の場所へ…」
近くを通った城に仕えている男も、女中達同様、腕の中のつくしの姿を見るや否や俺に言う。
俺はその男に最後まで言葉を言わせる事なく、黙って刀を抜き切り捨てた。
「黙れ、こいつの家はここだ…」
事切れた相手を一瞥しながら、そう呟いた俺の耳に周りの者の悲鳴やら「若様がご乱心だっ!」などと騒ぐ声が聞こえた。
その声に寄せ集められる様に、城の中に住む用心棒達が集まって来る。
さっき切った男の血が滴る刀を下げた俺を確認すると、その用心棒達も刀を抜いた。
「ほぉ〜…俺とやる気か?良いだろう、相手をしてやる。」
そう言うが早いか、俺は1人また1人と切り捨てて行く。
次々に襲い掛かって来る用心棒達を切りながら、目的の場所へと向かう。
その場所に近付いた時、部屋の中から俺がどうしても会いたかった人物が姿を現した。
「こんな時間に何事です?!」
そう言って部屋から姿を現したのは、俺の母親と呼ばれる女。
そして、俺からつくしを奪った張本人…
その女の姿を確認すると同時に、俺は静かに口を開く。
「何故、つくしを殺した…?」
女は俺の声を聞くと驚いた様な顔をし、俺の腕にいるつくしの姿を見ると白い顔を更に青白くさせて言う。
「そっそんな女の1人や2人、いなくなったところで何も変わらないでしょう?
若様、あなたはこの家の跡取りですよ?いつまでも、その様な女に囚われるのはお止めなさい。」
左腕につくしを抱き、右手には何十人と切って来た人間の血が滴る刀を握り、
全身に返り血を浴びた俺の姿に怯えながらも、気丈に言葉を発する女。
そんな女に、俺は乾いた笑いを浮かべる。
「そうだな、女の1人や2人いなくなったところで、何も変わらない…。だが、こいつだけは違った。
俺にとって、つくしはいなくてはならない存在だった…。てめぇもそれを分かっていたはずだっ!」
そう言いながら徐々に女に近づき、刀を握る手に力を込める。
「俺をこの国の為に利用する事しか考えていないてめぇが消えたところで、この国は何も変わらねぇ…。…死ね、俺はてめぇに用はねぇ。」
刀を振り上げ、逃げようとする女よりも一足早く振り下ろす。
女も実の息子に刃を向けられるとは思ってなかったのだろう。
袈裟懸けに切り捨てられた女は驚愕の色を浮かべ、俺を見つめたまま事切れた。
大大名、つまり俺の父親の正室だった母親を、
実の息子の俺が切り捨てた事で俺の周りには以前と比べ物にならない位の用心棒が集まり始めた。
そんな事も意に介さずに、虫を殺す様に次々と切り捨てながら進む。
俺は足早に父親の部屋へと向かい母親同様、問答無用で切り捨てた。
大大名が居なくなった今、この国の大大名は今日、跡を継いだ俺。
余りの出来事に、その場にいる連中はまだ誰に刀を向けているのか分かっていない。
ここでこいつ等に殺されるなら、それでも良い…。
つくしのいない世界など、俺にとっては何の意味も価値もない…。
つくしが居る事で色を映し出した俺の生きる世界。
つくしがいなくなった今は、また以前の様に色を失い、冷たいだけ…。
そんな世界など、どうなったって構わないと俺は自室へと足を向けた。
城へ戻った時に総二郎達が俺の命を受け、つくしを殺した刺客達を始末したと言っていた。
本来なら俺が切り捨てたかった奴等だが、元凶のあの女や親父を殺しても治まらない怒りが、
あいつ等を切ったところで治まるとは思えねぇ…。
やり場のない怒りや悲しみ、そして憎しみを抱えたまま、俺は自分の部屋へと向かう。
俺の部屋の前には総二郎、あきら、類が揃っていた。
3人を横目で見ながら部屋へ入り、赤い月が浮かぶ窓際につくしを抱き締めたまま腰掛けた。
何人切ったかなんて覚えちゃいねぇが、沢山の人間を切り捨てた事でつくしにまで返り血が飛んでいる。
つくしの顔についている血を、俺は顔中にキスする様に自分の唇や舌で舐め取った。
赤く揺らめく大きな満月を背景に、全身に返り血を浴び、血に濡れたつくしを抱く司の姿は神々しさを纏っていた。
つくしの顔を清める様に飛び散っていた血を綺麗に舐め取る司の表情は、つくしを奪われた事への狂気で歪んではいたが、
司の瞳からは赤い月の光に反射した赤い涙が流れていた。
その悲しみを湛えた瞳は、今、何を映し出しているのだろうか…。
部屋の入り口には、そんな司の様子を居た堪れない様子で呆然と眺め、その場で微動だに出来ずにいた総二郎、あきら、類の姿があった。
この時、血に濡れてどす黒く変色した着物の中、司の左胸に愛と憎しみの権化、
人である事を辞め獣となった事を表す黒い薔薇の刻印が刻まれて始めていた。
この事を、司本人を初め、総二郎達兄弟が知るのは、まだ少し先の話…―――