東京から飛行機で約1時間半。
初めて来る九州の土地。
空港から目的の場所に向うまでの間、あたしは何故だか分からない程ドキドキしていた。
金さんに半年振りに会える事が、そんなのも嬉しいのかと冷静な自分の言葉に苦笑する。
だけど、それだけじゃない…。
言い知れぬ胸のざわめきが、あたしの足を目的の道明寺邸へと急がせた。
金さんに何かあったのかも知れない…
そんな不安までが、あたしの頭の中をグルグルと渦巻き始める。
だけどそんな不安よりも何よりもあたしに違和感を覚えさせたのは、
初めて来るはずの土地なのに、妙にしっかりとした土地勘がある事だった。
見た事もない建物、どこに繋がるのか検討もつかない道、
なのにあたしは今自分がタクシーに乗り向っている場所が、
良い思い出だけを残した場所ではないと言う事を知っている。
初めて来るのに、どうして…?
良い思い出も何も、あたしはここに来た事なんてない。
それに、今から金さんに会いに行くんだよ?
悪い事が起きるはずなんて、ない…
ドクンドクンと、徐々に早くなって行く自分の鼓動。
金さんに会える喜びの音…じゃない。
何か得体の知れないものに呼ばれている…。
そんな気がした。
「これ…家…なの?」
目的の道明寺邸に着いたあたしの第一声は、それだった。
見上げなきゃいけない程、高い門。
先が見えない程の広大な庭。
そこに奥へと真っ直ぐに続く道路の様な道が走り、辺りの木々を風がざわめかせている。
門の前でタクシーを降りたあたしは、
ここからどうやって家と呼ぶ建物まで行けば良いのかと、途方に暮れた。
そんなあたしに門番だろう黒服を着た体格の良い男の人が、横から声を掛けて来た。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「あっ、あたし、牧野 つくしと申します。こちらにお邪魔している、天草 清之介の婚約者です。
彼に会いに来たんですが…」
あたしはそう言って正面を向いて頭を下げた。
そして、ゆっくりと頭を上げて行くと、その男性は驚いた顔をしてあたしをマジマジと見つめていた。
「あ、あの…」
そのまま固まってしまっている男性に声を掛けると、ハッとしたように我に返った男性は、
「お、お車をご準備致しますので、少々お待ち下さい。それに乗って、どうぞ中へ。」
と慌てて小さな…と言っても十分に大きい守衛用の建物の中へと消えて行った。
何だったんだろう…?
この時のあたしは、その程度にしか思っていなかった。
まさか、邸中の人間に前世のあたしの顔が知れ渡っていて、
似た人物を見かけたら主人に連絡する事が決められていただなんて、想像すらしていなかった。
用意された車に乗り込み5分程走ると、とんでもなく大きな建物が眼に入った。
な、何なのよ、ここ…
これが全部家だって言うの?!
邸のあまりの大きさに、驚きを隠せないあたし。
車の窓から近付いていく邸をジッと見つめていると、フッと何かを感じてその方向に眼を向けた。
だけど遠すぎて邸の中など見えるはずもないし、外に誰かがいる気配もしない。
気のせいか…
そう思ってあたしは、視線を窓から外し、前へと向けた。
現世のつくしの存在を知ってから、いつも見ている応接間にあるつくしの肖像画。
いつもと同じ様に暖炉の前に置かれた一人掛けのソファーに腰掛けながら、
その絵を見つめ、届くはずのない俺の想いを心の中で呟く。
なぁ、つくし。
お前は今、東京で何してんだ?
秋の空は、表情を変えるのが早ぇな…
夏の間、20時を過ぎなきゃ表に出て来れなかった桜が、
最近じゃぁ19時には部屋から出て来れるんだぜ?
もうすぐ、人間の晩飯の時間だろ?
お前は晩飯でも作ってんのか?
あの頃、俺に作っていたように、楽しそうによ…
取り戻したい、天草のガキからつくしを。
もう一度、生きているアイツに会いたい。
会って、本当の笑顔を見たい。
こんな血の通わない絵ではなく…。
その頬に、その髪に、アイツの存在そのものに、もう一度触れたい…。
そして、実感したんだ。
俺も確かにアイツと共に生きていると言う事を…。
その為には東京へ出て行かなければならない事も分かっている。
唯今はまだ、どうすれば良いのか分からないのだ。
突然つくしに会った俺が、どう言う行動に出るのかが分からない。
俺が一番恐れているのは、
つくしの血の香りを嗅いだ時の自分の行動…
天草の口からつくしの名前が出た時、俺は本当に嫉妬の感情だけで暴走したのか?
いや、違う…。
一瞬にして思い出したからだ。
つくしの肌の感触も、その温もりも、そして何も付けていない飾らないアイツの香りも、何もかも…。
傷付けたくないと思えば思う程、アイツに会うのが怖くなる。
そんな女じゃねぇと分かっていても、アイツに俺の正体を知られたらと思うとビビっちまう俺がいる。
情けねぇと叱咤したって、こればかりはどうしようもない。
200年前、俺はつくしにそっくりな女に出逢った。
世の中には3人似た奴がいると聞いた事があったが、あれは本当だったらしい。
当時の俺はその女をつくしだと思い、近付いた。
違和感を覚えなかった訳じゃねぇ。
でもその時の俺は、つくしに似た女でもその姿を見れた事が嬉しかった。
つくしが生きている…
そう思い込む事で、それまで乾いていた俺の心が癒されていくような気がしていた。
今思えば、完全に舞い上がっていたとしか言い様がねぇ。
その女とつくしは、完全に別人だったのに…。
その女は俺の容姿と道明寺の名だけに興味があるような女だった。
そうだと分かっていても、つくしの顔で近付いて来られて、
当時の俺には拒絶する事なんて出来なかった。
傍に置いていたつもりはないが、拒絶もせずに放っておいた。
総二郎達と夜の街へと飯を食いに出掛けたある日、
どこで様子を見ていたのか見知らぬ女の首筋に犬歯を突き立てていた時に、その女は現れた。
「私って言う…恋人がいるのに…浮気してるのかと思ったら…気が…気じゃなくて…。
後を…付けて…来たの…。まさか…貴方が…人間じゃないなんて…」
俺が吸血鬼になってすぐの頃は、1人の人間の血を全て飲み干し殺していた。
だが、時代が変わり人間と共存して行く為に、俺達も上手く切り抜ける術を自然と身に付けた。
1度の食事で何人もの人間に関わらなければならないが、
1人1人から少量の血を奪い取るだけにし、殺さない。
どうやら血を吸われた人間は、突然一気に血を奪われる事で一定の時間だけ頭に血が回らないらしく、
俺達に血を奪われた事など覚えていないらしい。
それが俺達にとっては都合が良かった。
その時俺が血を吸っていた女も、今までの女達と同様に気を失いその場に倒れる。
その様子を俺の恋人気取りの女がガタガタと震えその場に座り込み、
倒れた女の様子を見つめ、そして言葉を発した。
倒れた女から俺に視線を移し、今の俺の姿を凝視する。
紅く光る獣の眼。
口元から覗く長く伸びた犬歯。
そして、その犬歯から伝い落ちる真っ赤な鮮血。
見られたっ!
そう思った時には、もう遅かった。
倒れた女を死んだと思ったのだろう。
つくしと同じ顔、同じような声で、その女が発した言葉は俺を暴走させるには十分だった。
「こ、来ないで!近寄らないで、人殺し!化け物!」
その後の事はよく覚えていない。
唯、我に返った時には、その女は唯の肉の塊と化していた。
その周りにいたのは、俺と同じ闇の中で光る眼を持つ獣達。
あぁ、暴走したのか…
ぼんやりとした頭で、俺はそんな事を考えていた。
それから一切血を飲む事をしなくなった、俺。
つくしが言った訳じゃねぇと、あの女はつくしじゃねぇと、
幾ら自分に言い聞かせても女が発した言葉は呪いの様に俺の頭から離れる事はなかった。
つくしの絵をボーっと見つめながら、忌々しい過去を思い出していた俺の耳に車の音が聞こえて来た。
人でなくなった俺達の聴覚は、獣達と同じ様な働きをする。
車など窓からは全く見えないのに、音だけは聞こえる。
珍しいな…誰だ?
そんな事を思ってジッと窓の外を見ていた時、通り過ぎる車の中に俺は確かに見た。
東京にいるはずの、つくしの姿を…。
本物のつくしだと、姿を見た途端に確信した俺は慌ててエントランスへと向う。
応接間を出た所に総二郎達がいたのは知っていたが、声を掛けている余裕なんてない。
総二郎達の姿を眼の端に捉えただけで、俺はそのままエントランスへと走った。
その後ろから使用人が、牧野 つくし≠ニ呟いた声と、数人の足音が俺を追いかけて来ていた。
エントランスに着いた俺が見たのは、真っ直ぐ伸びた黒髪に、
意志の強そうなぱっちりと開いた大きな瞳、形は良いが小さな鼻、ふっくらとした小さな赤い口唇…。
今の今まで見ていた絵と全く同じ、
600年前、確かに俺の腕の中にいた頃と全く変わらない、つくしの姿だった。
ジッと見ていた俺の視線に気付いたのだろうか。
エントランスに入って来たばかりのつくしと俺の視線が交わる。
そして、時が止まった…。