気付いた時には自室のベッドに寝かされていて、俺の顔を皆で覗き込んでいるような状態だった。
ゆっくりと身体を起こし、ベッドヘッドに背中を預ける。
「良かった、もう目が覚めないかと思ってました…」
心底安堵したように、桜が笑みを溢す。
「ったく、心配かけんじゃねぇよ…」
「全くだぜ…。暴走なんかしやがって…」
口は悪いながらも、あきらも総二郎も俺を心配していたのが伝わってくる。
「司、まだ血が飲みたい?」
未だボーっとする頭を抱えたままの俺に、そう聞いて来る類。
その類の言葉にギョッとした顔をする、総二郎とあきら。
「いや、いらねぇ…。桜…俺は…もしかして…」
俺が血は飲みたくないと言った事に、総二郎とあきらは明らかにホッとした表情を浮かべるが、
俺は今そんな事に構っていられる程の余裕がない。
意識を手放す前の事がはっきりしねぇ…
確か、天草のガキと飯食う為に部屋まで呼びに行って、写真を見て…
飯食ってて、それで…
……。
確かに聞いたんだ。
最愛の女の名前と、その女が天草の婚約者だと言う事実を…
類や桜ならきっと俺に何があったのかはっきりと伝えてくれるはずだと思った俺は、ジッと俺を見つめる桜に聞いた。
一瞬、戸惑ったような表情を浮かべた桜は、類に視線を送る。
桜の視線を受けた類は諦めたような仕方なさそうな溜息を吐くと、桜に向って苦笑した。
「えぇ、多分司様の思っていらっしゃる通りだと…。つくし様が見つかったのではないかと思いますが…」
戸惑いながらも、そうはっきりと伝えた桜。
「そう…か…」
そう言って返事は返したものの…。
あぁ、やっぱり…
夢では…なかった…のか…
桜の言葉で、俺に起こった事は全て事実だったと認めざるを得なくなった俺は、そのまま視線桜から外し、そして眼を閉じた。
閉じた眼の上から掌で目元を覆っていないと、もうとっくの昔に忘れてしまったと思っていた雫が溢れ出しそうだった。
どうして…
どうして、お前は俺ではない男を選んだりしたんだっ…
どうして、今のお前の隣にいる男が俺じゃねぇんだよっ…
やっと…
やっと、お前を見つけたと思ったのに…
この時が来るのを、俺がどれ程長い時間待ったと思ってる…
会いたくて、会いたくて、声が聞きたくて、触れたくて…
ずっと、ずっと、この時だけを待っていたんだっ!
なのに、どうして…っ
「司…つくしが見つかったんだろ?なのに、どうしたって言うんだよ…」
心配そうなオロオロとしたあきらの声が聞こえる。
「つくし、東京にいるんだろ?だったら、さっさと東京出ようぜ!な、機嫌直せ!」
無駄に明るい声を出し、総二郎がそう言って俺を励ます声が聞こえる。
だけど今の俺には、そんな事すらどうでも良かった。
「俺は東京には行かない…。俺の女だったつくしは、もういねぇ…。
あいつは、あの時俺の目の前で死んだんだっ!もう2度と戻って来る事なんてねぇんだよっ!」
ギリッと音がする程強い力で奥歯を噛み締めて、行き場のない感情をぶつける様にサイドテーブルに飾られた花の花瓶を叩き割った。
「悪ぃが、1人にしてくれ…」
ポタッポタッとサイドテーブルから床へと零れ落ちて行く水音を聞きながら、俺はそう呟いた。
俺の言葉に総二郎とあきらは渋々ながらも従い、寝室を出て行こうとする。
類も2人に続いて諦めたような溜息を溢して、座っていた椅子から立ち上がった。
「司…。俺は現世に生まれ変わったつくしがどんな女でも、司なら受け入れると思ってた。
だから、600年って言う長い時間もお前と一緒に生きてきたんだ。
でも、ここで諦めるんなら、司のつくしへの想いは、そんなもんだったって事だよね…」
去り際に、そう言葉を残して類は部屋を後にした。
「司様…」
俺と桜以外、誰もいなくなった寝室に、桜の静かで優しい声が響く。
「いつか、つくし様が詠われた詩を覚えていらっしゃいますか?」
俺が人の姿を借りし獣と化してから数百年後、俺はそれまでの記憶を思い出した。
魂が覚えていただけの、遠い過去の記憶。
その中に、確かにつくしが詩を詠っていた時の記憶もある。
つくしが、前世の記憶を持って生きていた頃のものだ。
『誰ぞ伝えし 紅月夜のユカラ 君の目に宿る そのかけら
幾夜を越えて 探し続けた 幸せはいつも 波の向こう
恋しは 同じ月を 分かつる波の 花と散りゆく
古伝う 悲話の運命(に 君を想いし 時の長さに この身果てるまで…』 ※1
この先、どんな未来が会ったとしても、お前は俺と生きるのか?と、異国の地へと渡る前につくしに俺は尋ねた。
するとつくしは、寄せては返す波の音に合わせるかのように、海の水面に浮かぶ紅い月を見つめながら、その詩を詠った。
幾年月の夜を越えて、それでも探し続けた幸せは、いつも波に隔てられた
この恋は、同じ月を別けてしまう波の中へと、花となり散って行く
だけど君を想う時の長さに、昔から変わる事のない悲しい運命に、この身果てるまでは従い続けたい ※2
いつのどの時代でも、俺達は出逢いそして恋をする。
必ずまた見つけ出すから、その時こそ永遠に愛し合おう…
その詩を詠い終わった直後に殺されてしまったつくしが、最後にそう言って微笑んだんだ。
そんな詩を思い出した今、俺が忘れるはずがない。
「あぁ…覚えている…」
斬りつけられて身体から血を流し青白い顔をしながら、息も絶え絶えで苦しいだろうに、
そんな状態でも俺の腕の中で幸せそうに笑いながら、愛してる≠ニ言ったつくしを鮮明に思い出し、
俺が搾り出すような声でそう言うと桜は、
「でしたら、司様がすべき事はもうお分かりですよね?…後は、司様次第ですよ。」
苦笑を溢し、そう言い残して類達の後を追うように部屋を後にした。
誰も居なくなった寝室で1人、ベッドの上から朝日が良く入るようにと大きく取られた窓の外を見る。
そこから見えるのは、何百年にも渡って存在するつくしが眠る場所。
その場所の上にいるのは、真っ白な石の天使。
俺がそれに視線を移した途端、雲間から月の光が差し込み天使を照らし出した。
その姿が俺には慈愛を称えたつくしの微笑みのように見えて、切なさに耐え切れず気付くと俺の右頬に一筋の水跡が通っていた。
「ったく、ざまぁねぇな…」
類が俺に言いたかったのは、つくしへの想いはその程度のもんじゃねぇだろ?と言う事。
桜が俺に言いたかったのは、俺にはつくししかいないのと同じように、つくしにも俺しかいないと言う事。
分かってんだよ、んな事…
つくしが天草のガキの婚約者だろうがなんだろうが、俺がつくしを諦められる訳なんてねぇって事位。
人でなくなり、永遠と言う時間を生きなければならないと知った時、俺は確かに決めたはずだ。
つくしと共に生きる為なら、どんな事だって耐えてやると。
俺が欲しいと願うものなど、アイツの存在以外何もない。
アイツは、俺の全てだ…。
アイツを手に入れる為なら、何だってしてやる。
その為に、気が遠くなる程長い時間を俺は生きてきたんだから…。
あたし達は、いつの時代でも出逢えば必ず恋をする。いつか、必ず一緒に幸せになろうね…
つくしの声が聞こえた気がした。
そうだな…
俺達は磁石の様に惹かれ合い、そしてお互いを求める運命なんだ。
この世界に生きるお前は、まだ俺の事を知らない。
だから、昔の俺と境遇の似た天草の隣にいるだけ…
唯、それだけの事…だろ? つくし…
庭にいる石の天使に、心の中で問いかける。
月の光の所為か、少しだけ天使が口角を上げ、笑ったような気がした。