ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ


 

身体中が心臓にでもなったのではないかと思われる程、大きな音を立てて早鐘の様に脈打つ。

それに呼応するように熱を持ち僅かに色づき始める胸に咲く黒い薔薇。

身体中が熱く流れてくる汗が服を肌に張り付かせる。

冷や汗と脂汗が混ざったような気持ちの悪さが、身体中を覆う。

 

どうやってその場を切り抜けたのか覚えていないが、気付いた時にはダイニングを後にし、自室の近くまで来ていた。

 


ハァ ハァ ハァ…


 

全力疾走でもした時の様に呼吸が乱れる。

早鐘を打つ心臓と乱れる呼吸に身体の方がついていかず、吐き気が襲う。

それを押さえる為に口元を手で覆うが、一向に気分が良くなる気配は訪れない。

 


喉が…

喉がカラカラに渇く…


 

餓えた獣が獲物を求めるのと同じ様に、今すぐに血が欲しい。

喉の渇きを緩和させるように何度も唾を飲み込んでみたところで、この渇きは癒されない。

 



 



 



 



「旦那様…?どうされました、ご気分が宜しくないのですか?」



 

壁にもたれて口元を手で覆い眼を閉じて、何とか落ち着きを取り戻そうと無駄な努力をしていた俺に、

近くを通り掛かった使用人が声を掛けて来た。

 

 

途端に香って来る血の匂い。

今、この渇きを癒す唯一のものの香り。

 

 

自分の眼が紅く変わっていくのが分かる。

それと平行して犬歯が伸びて行くのが分かる。

 


血が…欲しいっ


 

 

 

 

 



「だ、旦那様?大丈夫…キャッ!」



 

 

何も考えられない程に餓えていた俺は、

近付いて来た使用人の腕を思い切り自分の方へと引き寄せ、首筋に歯を立てた。







俺の中の何かが、音を立てて壊れていく…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事が終わる時間になってもなかなか自室に戻って来ない司に、

痺れを切らし始めた俺達3人と、司の自室から続いている地下の部屋にいる桜子は、

十分に陽が暮れた事を合図のように、地下室から動き出した。

 



「でも、良かった。司様がやっとここから動く決心をして下さって…」



 

そう言って本当に嬉しそうに笑う桜子。

 



「皆さんも、100年掛けて説得した甲斐がありましたね。」



 

クスクス笑いながら桜子はそう言って、紫がかった黒い瞳を俺達に向けた。

黒っぽいように見える桜子の瞳の奥は、常に紫の色が映っている。

司の眼も同じだ。

漆黒のように見える瞳は、深い紅が奥に潜んでいる。

俺達3人も司程ではないがやはり紅い色が時々瞳に見え隠れする。

 



「ありましたね…って桜子、お前なぁ…」



 

あきらがそう言って溜息を吐く。

 



「お前が司を説得してりゃ、こんなに時間かかんなかったんだっつーの!」



 

思い切り他人事のような言い方をする桜子に、俺はつい責めた口調で言葉を放ってしまう。

 

まぁ、それも仕方ない。

100年掛けて司に「東京へ出て来い」と言っていた傍らで、

俺とあきらは桜子に「お前も司を説得しろ」と言い続けて来たんだから。

だけど桜子は一度司に東京へ出たらどうだと進言しただけで、それ以降は俺達に協力するような姿を見せなかった。

 



「仕方ないじゃないですか。私には司様のお気持ちが痛い程よく分かるんですから…。

無理に東京へ行かせても、すぐにこちらへ戻る結果になったと思いますよ。」



 

桜子はそう言って苦笑する。

 



「確かにそうだろうね。

でも結果的にはこうして司も東京に出る気になったんだから、良かったじゃん。

ねぇ、三条はどうするつもり?アンタは、ここに残るつもりなの?」



 

眠そうな顔をして俺とあきら、そして桜子の後ろからついて来ていた類が突然会話に参加する。

その類の問いに桜子はゆっくりと類を振り返り、そしてにっこり微笑んだだけの返事を返した。

 

微笑むだけの返事はきっと、ここに残ると言う答え。

今まで生きて来た長い時間のほとんど全てを、この地で生きてきた桜子。

夜になる度につくしの墓へ行っては綺麗に洗ってやり、新しい花に取り替えてやっていた。

幾らつくしが生まれ変わり例え自分の傍で生きていようとも、桜子はその日課を止めようとはしなかった。

一度俺は桜子に聞いた事がある。

どうしてつくしは生きているのに、墓の手入れをする事を止めないのかと。

そんな俺に桜子は、

 



『当時、私と友達だと言ってくれたつくし様は今このお墓の中にいるつくし様だけですから…』



 

と悲しそうに笑っていた。

今までに生まれ変わったつくしの姿を何度も眼にしている桜子。

だが出逢う時間が遅すぎたりした為に、初めてつくしに出逢った頃のような関係にはなれなかった。

自分が吸血鬼だと言う事も伝えられず、つくしにすら本当の姿を見てもらえない。

本当の桜子を知っているつくしは、

今、司の部屋の中から見える場所に位置している墓の中にいるつくしだけだと、そう言う意味だったのだろう。

 

姿も性格も何もかもあの頃のつくしと同じようでいても、

桜子にとってのつくしは昔も今も変わらずにあの頃のままの姿をしているのかも知れないと、俺はその時初めて思った。

 

 

 



『私がこの日課を止められる日が来るのは、きっとつくし様にもう一度私≠ニ言うものを受け入れてもらえた時です。』



 

 

 

何度生まれ変わり同じ魂をその身体の中に宿していたとしても、その人が前世と全く同じ人物だとは言い切れないと桜子は言った。

前世での魂の記憶や現世での環境が、その人自身を変えてしまう事もあると…。

俺達よりも遥かに長い時間を生きて来た桜子の言葉には、言い知れぬ重みがあったのを今でも俺は覚えている。

 

つくしと出逢った当時と同じ状況になって初めて、

桜子はつくし≠ニ言う存在を認められるのかも知れないと、司の部屋からダイニングへと続く廊下を歩きながら俺は思っていた。

 


司は…

司ならきっと、例えあの頃と少しばかりつくしが変わっていたとしても受け入れるんだろうな…


 

そう思っていた俺の顔に、知らずに笑みが浮かんで来るのを押さえられない。

 

激しい程の執着を見せていたあの頃の司。

きっとつくしへの愛情は、あの頃と今とじゃ何も変わっていない。

変わっていないどころか、つくしへの想いは益々強くなっているような気がする。

司なら桜子のように、現世のつくしにあの頃≠フつくしを重ねたりはしない。

この時の俺は、そんな根拠のない自信を持っていた。

 


そう、この時までは…


 


 


 




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Act.24