はぁ〜…来たな?
そう思っていると案の定、
「よ、司!」と、普段通りに声を掛けて来るあきら。
「どうだったよ、交渉?」と、眼をキラキラさせているだろう総二郎。
「疲れてるみたいだね、ご隠居。」と、笑いを含みながら言う類。
3人が当たり前のように部屋へと入って来て、俺の腰掛けるソファーの前と隣にそれぞれ腰掛けた。
「お前等、うっせぇよ…。もっと静かに入って来れねぇのか…」
ソファーの背凭れに頭を預け、片手で眼を覆っていた俺はゆっくりと3人へと顔を向ける。
これだけ長い時間を生きていれば、2年や3年の歳の差なんて微塵も関係なくなる。
いつの頃からか、俺達は兄弟と言う域を越えて、それぞれを名前で呼ぶようになっていた。
まぁ、俺は最初から3人とも呼び捨てだったが…。
何百年と共に生きて来たこいつ等の事。
見なくても今、3人がどんな顔をしているのかなんて手に取るように分かる。
案の定3人は、早く教えろ!と言わんばかりの表情をして俺を見ていた。
「年寄り臭ぇなぁ、司…」
呆れたようにそう呟く総二郎。
「そうだぜ、司。幾らその姿だからって、気持ちまで年取らなくても良いんじゃねぇの?」
そう言って苦笑するあきら。
「何言ってんの、総二郎もあきらも…。俺達は、正真正銘の年寄りでしょ。皆、600歳超えてるじゃん…」
分かりきった事を…と言わんばかりに、類が言う。
「「それを言うな…」」
顔を引き攣らせた総二郎とあきらが、声を揃えて言った。
「で、司。場所はどの辺だったの?俺達の誰かの別荘と近かった?」
2人の事など全く気にせず、類は話を元に戻した。
天草の別荘がある地域は知っていたが、詳細な場所は今日まで知らなかった俺。
勿論、他の3人も知らずそれが気になって仕方なかったようだ。
「あぁ、あきらんとこの隣だぜ。」
俺がそう言うと、
「そうか、そうか。はぁ〜…、でもここまで長かったぜ…」
どことなく嬉しそうに総二郎が呟いた。
「あぁ…。何せ100年掛かりで司を説得したからな。」
苦労したぜ…と呟くあきら。
「要約、司も東京に出て来る気になったんだね。良かった。」
そう言って静かに微笑む類。
「別にそんなんじゃねぇよ…。唯、時々お前等んとこに行くのも悪くねぇかなって思っただけだ。」
無愛想にそう返した俺に、他の3人は苦笑を溢していた。
そう、別に東京に出て行く気なんてなかった。
ただいつも眠る時間に、いつも見る夢と少し違う夢を見ただけ…。
まるで何枚もの写真を捲るように俺の夢に写る、つくしの笑った顔や泣いた顔や怒った顔…。
照れて真っ赤に染まる顔や、俺の腕に抱かれて眠る安らかな寝顔、そして女の表情…。
いつも決まって、沢山のつくしの表情が夢の中に映し出された。
でも最近、正確には俺が天草の別荘を買うと決める前に見た夢は、そのつくしが喋ったんだ。
もうすぐだよ…。もうすぐ逢えるよ、司…。おいでよ、ここに。あたしはちゃんといるから…
と…。
そう言ったつくしは、あの頃のまま変わらずに微笑んでいた。
数百年振りに聞いたつくしの声。
夢で声が聞けなくなったのは、いつの頃だったか…。
今はそれを思い出す事すら難しい。
声が聞こえなくなった時、俺はつくしの声も忘れてしまったのかと途轍もなくショックを受けた。
最初に忘れたのは、つくしの温もりだった。
その次に感触を忘れ、そして声を忘れた。
記憶と言うものは曖昧なものだ…。
忘れたくないとどれだけ願っても、日々の暮らしの中に置き去りにしてしまう。
こんな感じだったかなどと想像してしまうと、それは記憶と摩り替わり本物とは違ってしまう。
絶対にそれだけはしたくなかった俺は、あえて思い出す事を止めた。
桜の言う通り輪廻転生が本当なら、俺達は必ずまたどこかで逢える。
それだけを支えに生きて来た。
つくしに逢える為なら、何だってしよう…
そう思って来た俺の夢につくしが出て来た上に、どこかへ行けば逢えると言った。
なら、動くしかないだろう?今、俺がいるこの場所から…。
そう思って、総二郎達が100年近く俺に薦めて来た東京行きを決意した。
何も無ければ、また、この地に戻って来れば良いと思って…。
そんな事を俺が考えているうちに、使用人が夕食の準備が出来たと呼びに来た。
分かったと軽く返事を返し、使用人が部屋を出た事を確認してから3人に向かって口を開く。
「ったく、人間って言うのは面倒くさくてしょうがねぇ…。
明日、天草のガキが帰ったら飯行くから付き合えよ。どうせ、お前等ここにいるんだろ?」
3人の顔をそれぞれ見ながらそう言うと、3人は当然と言うように笑った。
それを確認した俺は、天草を呼ぶ為に部屋を出た。
この先に何が待ち受けているのかも知らずに…。
「人間って言うのは面倒だな。毎日、決まった時間に飯を食わなきゃなんねぇし…」
司が出て行った扉を見つめながら、総二郎がそう言った。
「俺なら絶対無理。そんな時間があるなら寝たい…」
そう言ったのは類。
「類…。俺達は本来、寝なくて良いんだぜ?それでもお前は寝るのかよ…」
俺がそう言うと、総二郎が
「あきら、コイツに何言っても無駄だって。つい最近も50年程寝てた奴だぜ?」
と笑いながら言った。
「仕方ないでしょ。寝る事は俺の趣味なの。」
いつまでも笑っている総二郎に、ムッとして類が答えた。
それにしても50年は寝すぎだろ?と、総二郎は呆れながらも類をからかって遊んでいる。
こんなところは、まだ兄弟としての感覚が残っているなと俺はよく思う。
「なぁ、それにしてもどうして司は東京に行く気になったんだろうな…」
そう俺が聞くと、今まで2人で話していた総二郎と類がピタリと話を止めた。
「さぁな…。でも、東京に出て来る事に決めてくれたのは良かったぜ。
毎回毎回、様子見に九州まで来なきゃなんねぇ俺達の方が疲れるってぇの…」
文句を言いながらも、司の様子が心配で毎週の様にこの地まで来ている事を俺や類は知っている。
今まで頑なにこの九州の地から動かなかった司が、やっと東京に出て来る。
それを一番喜んでいるのは、もしかすると総二郎なのかも知れない。
「司、動きたくなかったんだろうね、ここから…。仕方ないよね、だってつくしが眠ってる場所だし…」
類が静かに呟いて、司の自室の窓から外を見る。
あれから何十年後も先、つくしが眠る場所を中心にして司は土地を買い取り、そこに自分の邸を建てさせた。
司の部屋からつくしの眠る場所が見えるように設計させて…。
だから、何十年、何百年経っても司はこの場所から動こうとしなかったのだ。
「あいつの気持ちも分かんなくはねぇけどよ…。それにしたって、100年も粘るか?普通…」
「仕方ないじゃん。司は普通じゃないんだし。」
総二郎と類の2人は、そう言って笑いながら司の部屋から奥へと続く扉へと向って歩いて行く。
俺もその後に続いて、扉の中へと入って行った。
司の自室から続く長い廊下には、灯りなど1つも付けられていない。
それでも俺達は不自由しない。
真っ暗闇の中でも、何があるのかしっかり見える。
それは、暗闇の中で光る司の瞳よりも薄い紅い瞳のお陰。
魔力を秘めたその瞳は、俺達が人ではない証。
司に付き合って永遠と言う名の暗闇を生きながら、俺達もまた司とつくしが再び出逢える事を何よりも望んでいるんだ。