時は流れ、20078月。

 

俺はじいちゃんが亡くなる時に受け継いだ俺名義の別荘やマンションを売る為に、道明寺のご隠居の所を訪れていた。

 

俺の家系は政治家の家系で俺はそこの長男として産まれたが、将来、じいちゃんや親父のように政治家になる気は全くなく、

大学を卒業してから家を出るつもりでいた。

そんな時に、俺の婚約者、牧野 つくしに出逢った。

今まで俺に近付いて来た女達は、皆天草≠フ名前に近付いて来ていたけど、つくしだけは違った。

俺を1人の男として見てくれて、友達として付き合っていくうちに俺がつくしに惚れて恋人と言う関係を続けていた。

恋人として家族に紹介してからは猛反対に合い、色んな妨害もされて来た。

それに腹を立てた俺は、大学を卒業する前に家を出る事を決意。

当然、つくしは家を出る事に反対し分かってもらえるまで頑張ろうと言い張ったが、

俺には夢があると言う事を話すとつくしは渋々だが納得し、天草≠フ家を出たら何もない俺だけど付いて来てくれるかと聞いた俺に、

金さんが金さんなら、それだけで良い≠ニ俺のプロポーズを受けてくれて、晴れて婚約した。

今はつくしと2人で住んでいるマンションだけを残し、当面の生活費に当てる為にこうして別荘やマンションを売っているのだ。

 



「では天草さん、こちらの物件は私が買い取らせて頂くよ。」



 

ご隠居はそう言って必要な書類にサインをしている。

道明寺のご隠居はもう随分前に現役を退いたと聞いていたが、

今、俺の目の前にいる老人は現役を退いてから、そんなに時間が経っているとは思えない程若々しく、威厳に満ちていた。

 



「あの、ご隠居…。どうしてまた、天草から別荘を買おうなんて思われたんですか?あなた程の人なら、古い別荘を買わなくても…」



 

ご隠居の使いと名乗る男から連絡を受けた時には正直驚いた。

その時からずっと不思議だったのだ。

わざわざ古い物件を購入しなくても、天下の道明寺財閥のご隠居程の人なら、新しく建てさせる事も出来るだろうに…と。

 



「確かにそうなんだが、この辺の土地はもうほとんど残ってなくてね。

この別荘は孫へのプレゼントにするつもりでね。身体が弱くて街には住めない子なんじゃが、

不便な思いをしなくて良いように街にも程近く、でも静かで空気の綺麗な場所をと探していたら、

丁度天草さんがこの物件を売っていると聞いたんでね。今から建てさせるよりは早いだろうと思って譲り受ける事にしたんじゃよ。」



 

最後の書類にサインし、印鑑を押しながらご隠居はそう言って穏やかに微笑む。

 

そう言えば道明寺の跡取りである長男は、身体が弱く表にはほとんど出て来ないと聞いた事がある。

俺はこの通り政財界には全く興味がないから、噂程度の事しか知らないが…。

 



「そうだったんですか、それでウチの物件を…」

 

「私はあの子が不憫で仕方なくてね、何でもしてやりたくなってしまうんじゃ。年寄りの悪い癖だ。」



 

そう言って声を立てて笑うご隠居は、1人の爺さんとしての顔をしていた。

俺を可愛がってくれていたじいちゃんはもう何年も前に他界している。

だからなのかも知れないが、こうして可愛がってもらえる跡取りの長男を羨ましく思う俺がいた。

ふと応接間の暖炉の上を見ると、そこに見慣れた女の顔を見つけた。

驚いてその一点を凝視している俺に気付いたご隠居は、

 



「どうかされましたかな?」



 

と俺に問いかけながら、俺の視線の先を辿って行く。

 



「あ、あの…。あの女性は…?」



 



「あぁ、彼女は私の妻じゃ。正確には、妻になるはずだった女性…だがね。結婚する前に亡くなってしまったのでね…」



 

そう言って懐かしそうに眼を細めるご隠居。

憂いを帯びたその表情の中には、今は亡き彼女への愛が溢れているように見えた。

 



「で、どうして天草さんはまた別荘を売ろうと思われたのかね?

聞けばこの他にも君の名義の物件のほとんどを手放しているそうじゃないか。

天草程の家なら、金銭的に困っている訳でもないだろうに…」



 

彼女の事をこれ以上思い出したくないのか、急に話題を変えたご隠居。

その声に、悪い事を聞いてしまったと焦る俺に、「気にしなくて良い、もう随分昔の事だ…」と苦笑したご隠居。

そんなご隠居にならいつもなら本当の事を話すと何かと周りが煩いからと話さずにいたこれまでの事を、

何故かふと、本当の事を話しても良いような気がした。

 



「実は俺、婚約を期に天草の家を出たんです。相手は一般人の女性で…。俺も政治家にはなりたくて、他に夢があるんで。」

 

「ほぉ…。じゃぁ、今まで大変な苦労をなさって来たんでしょうな…」



 

そう呟いたご隠居の表情が、先程見た憂いを帯びた表情と重なる。

 



「私と彼女も、君と婚約者の彼女の様な運命だったんじゃよ。彼女も一般人だった。

君達は私達と違う運命を歩けるよう、私も祈ってるよ。幸せになりなさい。」



 

そう言って差し出されたご隠居の手に自分の手を重ね、握手する。

 



「ありがとうございます、ご隠居。」



 

そう言って頭を下げると、

 



「今日はもう遅い。何もない所で申し訳ないが、今晩は是非泊まって行って下され。

また夕食の準備が整ったら、声を掛けに伺いますよ。」



 

俺にそう言い、近くにいた使用人に俺を部屋へ案内するように言って、ご隠居は応接室から出て行った。


 


 


 

部屋へ案内された俺は、持って来たつくしの写真を取り出し、言葉を掛ける。

 



「これで全部終わったぜ、つくし。もうすぐ、おめぇんとこ戻るからな。待ってろよ。」



 

写真立ての中で満面の笑みを浮かべるつくし。

そんなつくしの顔を見ていると、自然と頬が緩むのが分かった。

このところ、所有している物件を売るのにバタバタしていた所為で疲れが溜まっていたのか、

つくしの写真を握ったまま、俺は夢の世界へと旅立って行った。

 


 


 


 


 

天草との話を済ませた後、俺は自室に戻りソファーに身を沈める。

 


これで良かったんだよな、つくし…


 

そんな物思いに耽っていた俺の耳に、賑やかな足音が聞こえて来た。

 
 
 
 
 
 
Act.21