翌日の午の刻(12時から14時までの間)頃、司は女中や兄弟達に手伝われ、
酉の刻
(18時から20時の間)から始まる跡目の披露の儀の為の準備に追われていた。

司にとってこの儀は、つくしを自宅である城へ上げる為の役割であるだけで、儀そのものには何の意味もなさなかった。

だが、自分の父親と母親からつくしを城へ上げる為には、跡目としての役割を果たせと言われた以上、手を抜く訳にはいかなかった。


「面倒くせぇよな、披露の儀なんてよ…」


女中に着物を着付けてもらいながら、今日何度目かも分からない大きな溜息を吐き、
今更言ってもどうしようもないと分かりきっている言葉が、不意に俺の口から漏れてしまった。


「まぁ、そう言うなよ兄貴。」


総二郎が左側から姿見越しで俺に向かって言う。


「そうそう、今更言っても仕方ないって完全に諦めてんだろ?」


総二郎とは反対の右側から、あきらがひょっこり顔を出して言う。


「まぁな…。にしたってよ〜、何でわざわざこんな大層に準備しなきゃなんねぇの?普段通りの俺で挨拶すりゃぁ良いじゃねぇかよ…」


一度口に出てしまった不満は、なかなか止まる事を知らない。


「一応、父さんの跡目としての披露の儀だもん。それ位しなきゃ、格好つかないんじゃない?
つくしを迎えに行く為だもん。仕方ないよね?それに、司兄さんは、つくしの為なら何でもするんでしょ?」


姿見越しで顔は見えないが、類がそう言ってクスクス笑う。


「ったりめぇだろ?!じゃなきゃ、今頃こんな所にいねぇっつーの。
つくしと出逢う前なら、こんな面倒くせぇ事総二郎に押し付けてバッくれてんぞ。感謝しろよ、総二郎。」


思いっ切り押し付けがましく、何で俺が…と姿見越しに左側に映る総二郎に、非難の視線を送ってやった。


「はいはい、分かってますよ、お兄様。
でもよ、俺が感謝しなきゃなんねぇのは、兄貴じゃなくて、つくしじゃね?なぁ、あきら。」


「そうだよな。ここまで兄貴を変えてくれたのは、他の誰でもない、つくしだしな。
つくしを城に上げる為だけに、司兄がこんな面倒くせぇ役割担ってくれた訳だし…。やっぱ、感謝するなら、つくしでしょ?」


総二郎とあきらが顔を見合わせながら、うんうんと頷いて笑ってやがる。


「そうだよね。司兄さんに、跡目を継ぐ様に進言したのはつくしらしいし…。
跡目も継げない様な男について行けないって言われたんだよね?」


(どいつもこいつも、言いたい放題抜かしやがって…。類っ!余計な事、こいつ等に吹き込んでんじゃねぇよっ!)


3人の言いたい事をそのまま聞いていた俺のこめかみに、段々と青筋が浮かんでくるのが自分でも分かる。


「えっ?そうだったの?だったら、尚更つくしに感謝しなきゃだよな?」


着付けが終わり、身体を総二郎達の方へ向けた俺に、総二郎がニヤニヤ笑いながら言って来る。


「てめぇ等、いちいちうっせーよっ!言っとくけどこれは、つくしに言われたからって跡目継ぐ事決めた訳じゃねぇからなっ!
この家に産まれた以上、男としての責任っつーのを、やっぱ果たすべきだと思って《俺》が決めたんだからなっ!勘違いすんなよっ!」


って、こいつ等に一応説明してみたけど…。

確かに跡目を継ぐ事を進言して来たのはつくしだ。

でもそれは、つくしと一緒になれないのなら、この家を出るつもりでいた俺を引き止めただけの話。

跡目を継ぐ事を最終的に決めたのは、誰でもなくこの俺。

なのに、こいつ等に説明しながら言い訳臭く感じるのは何故だ??


「はいはい、分かってるよ。
兄貴のお陰で俺達はこの先これ以上の重責を背負わなくて良くなった訳なんだから、ちゃんと感謝してんだぜ?」


「総二郎…、お前の言い方は、感謝されてる気になんねぇんだよ。」


着替えを終え、儀が行われる部屋への移動中、俺の右隣に肩を並べながら歩いていた総二郎が俺の肩にポンっと手を置きながら言った。


「まぁまぁ。総兄も素直にありがとうなんて言える人じゃないんだよ。」


そんな俺達2人を見て、あきらが笑っている。


「どうでも良いけどさ、そろそろだよね。つくしを迎えに行ける様に、司兄さん、頑張ってね。」


俺の左斜め後ろを歩いていた類が俺に声を掛けて、手をひらひらと振りながらさっさと儀の行われる広間へと歩いて行った。


「あぁ、分かってるよ。こんな面倒くせぇ儀なんてさっさと終わらせてつくしを迎えに行ってやる。
次は、嫌でもお前等の番だぜ。ちゃんと見とけよ。」


そう言って俺は、3人に向けて不敵に笑ってやった。

 

 

あたしは司の跡目の披露の儀が行われる今日、司の許嫁としてお城へあがる事になっている。

本当にこんな何も持たない唯の農民の娘が大大名跡取りの司の嫁になっても良いのかと不安になったのだけど、
司が大大名様であるお父様の跡を立派に務める事を条件に,
結婚する相手は自分で選んで良いと言ってもらえたらしく、私が城へ上がる事になった。

今日は町で過ごす最後の日。

披露の儀が終われば、司が迎えに来ると言っていた。

今までお世話になった人達には挨拶をしに行くって司に言うと、
「城に上がる前に物騒な事になり兼ねないから、城に上がって落ち着いてからにしろ。」と言われてしまい、
結局一番お世話になっていて、司も知ってる『桜の大婆様』の所にだけ挨拶へ行く事にした。

『桜の大婆様』とは、あたしの家の近くに住んでいるお婆さんなのだけど、近所の人達からは変わり者と有名な不思議なお婆さんだ。

字を読んだり、書いたりする事が出来ないあたしに字を教え、この国について色々な事を教えてくれた。

その上、どこから聞いて来るのかは分からないけど、異国の地の話も知っている。

本当に色々な知識や教養をあたしに教えてくれるお婆さんで、あたしは大好きなのだ。

司との事を話してから、城に上がっても恥ずかしくない様にと、礼儀や作法なんかも教えてくれた。

そんな桜の大婆様ともしょっちゅう会えなくなるのかと思うと物凄く淋しいのだが…。

でも、これからはいつも司の傍に居られる。

その事に背に腹は変えられないと、心を鬼にして城へ上がる準備に没頭した。

いつでも城へ上がる事が出来る程の準備が整ったのは、酉の刻頃。

丁度、司の披露の儀が始まる頃だった。

司があたしを迎えに来るまでにはだいぶと時間がある。

片付けられた部屋の中を見、今までの生活を思い返しながらあたしは1人で食べる最後の食事を楽しんでいた。

戌の刻(20時から22時頃迄の間)を知らせる鐘の音を聞いた頃、
食事も済み落ち着いたところで大婆様の所へ行って挨拶でもして来ようと部屋を後にした。

 

ドンドンッ


「ごめん下さい。大婆様?つくしです。夜分遅くにごめんなさい。」


大婆様の家の木戸を叩いてあたしが来た事を知らせる。


「おやおや、遅いお出ましだね。もっと早くに来るかと思っておったのに…。ここじゃなんだから、早くお入んなさい。」


木戸を開けてくれた大婆様はそう言って、あたしを部屋に招き入れ早速お茶の準備を始めた。


「大婆様、お茶くらいあたしが入れますから、ごゆっくりなさって下さいな。」


そう言ってあたしが動いたままの大婆様の手を止めようとすると、


「良いんだよ。今日は若様の披露の儀だろ?と、言う事はとうとうつくしが城へ上がる日が来たと言う事だ。
最後位、この老いぼれに茶位ご馳走させておくれよ。」


と言って笑って止められてしまった。


「もう、大婆様ったら…。じゃぁ、今日は遠慮なく大婆様のお茶、ご馳走になりますね。
でも、最後だなんて言わないで下さい。あたしは城へ上がってからも遊びに来ますよ。
司にだってそう言ってあるんですから。その時は、司も一緒に来ると思いますよ。」


大婆様が入れてくれたお茶を受け取りながら、あたしはふふふっと笑って大婆様に言った。


「若様がかい?何でまた、こんな所へ?つくしがまた変な事を若様に吹き込んだんじゃないだろうね?」


訝しげな顔をしながら大婆様が軽くあたしを睨む。


「嫌だな、あたし変な事なんて吹き込んだりしてませんよ。
この前、大婆様に聞いた異国の地でのお話を司にしただけです。
そしたら司、また大婆様に変なこと吹き込まれたな?ですって。
大婆様に文句言いに行くっ!なんて、また言ってましたよ。」


大婆様の視線を軽くかわして、笑いながら司からのメッセージを伝える。


「あたしゃ、若様から文句言われた事は一度もありゃしないよ。
御礼を言われた事はあるけどね。それよりあの異国の話、気に入ったのかい?」


大婆様は声を出して笑いながら、あたしに聞く。

司が文句を言った事がない?あんなに大婆様の事に悪態ついてるあいつが、お礼を言うですって?!

あたしは、大婆様の話を信じられないと言う顔で見つめていた。


「何だい?若様が文句を言わない事がそんなに意外かい?」


「えぇ、まぁ…。文句を言わない事も意外ですけど、お礼を言うなんて考えられなくて…。」


あたしが驚いたままそう言うと、大婆様がまた笑った。


「あの方はつくしに会ってから変わられたからね。
きっと若様が人に頭を下げたり、お礼を言うのはつくしの事だけだと思うね。後にも先にも、きっとあんた絡みの事だけさ。」


大婆様があたしにそう言って優しくにっこり微笑んだりするから、あたしは恥ずかしくなってカァーっと顔を赤くしてしまった。


「そっ、そんな事ないですよ!人に頭下げたり、ありがとうを言えない人は器の大きな人間になれません。
あいつだって、これからしていかなきゃいけないんだから…。
それより
、この前のあの話。信じられないですけど、でもロマンティックだなとは思いましたよ。
何百年も何千年も、たった一人を探し続けるなんて…。
でも、きっとその人は辛いでしょうね…恋人なしで、そんなに気の遠くなりそうな時間、独りで生き続けなくちゃいけないなんて…。
それに悲しいと思いますよ。
周りの人間は歳を重ねて死んで逝くのに、その人は若いまま死ぬ事がないんでしょ?
その人は一体どれだけの大切な人達の死を見て来たのかしら…。
きっと、その人も死にたくなる位、苦しんで来たでしょうね…。
でも、それでもたった一人に会う為に独りで耐えてるなんて、その人に愛された人は幸せですね…」


あたしが何百年も何千年も生きていると言う人の事を考えながら、ふと大婆様の方を見ると、大婆様は幾筋もの涙を流していた。

あたしはぎょっとして、


「おっ、大婆様?!どうしたんですか?あたし、何か変な事言っちゃいましたか?!」


と、慌てて大婆様に手拭いを持って近寄った。


「あぁ…。いや、大丈夫だよ。
本当にあんたは、いつまで経っても人の痛みが分かる子と言うか、お人よしと言うか…。
良い事だとは思うけどね。時と場合に寄っちゃ、人を疑う事も知らなきゃいけないよ。
きっと、その人は喜んでいるだろうね。
遠い国で会う事がなくても、あんたみたいに思ってくれる人間がいるだけで、きっとその人は救われているだろうさ。」


そう言って大婆様は微笑んだ。

「そうだと良いですけどね。それと、人なんて疑ってかかっちゃ、切りがないですよ。
だったら、騙されても許せる人間になりたいです、あたしは。
きっと、そんな人間はどの時代にも必要なんですから。
ねぇ、大婆様。人と人が出逢う事に、運命みたいなものはあるのかしら?」


あたしはふと、そんな事が気になって聞いてみた。

もし、運命みたいな巡り会わせと言うものがあるのなら、
何百年も何千年も生きているその人の周りには、時代が変わってもその人の大切だと思った人達が生まれ変わった姿で集まって来ると思うから。


「そりゃ、もちろんあるさ。巡り会わせってやつだろう?あたしとつくしも、前世で会ってたかも知れないね。」


大婆様はそう言って、とても優しい瞳をして笑ってくれた。


「やっぱり、あるのね。良かった。じゃぁ、生まれ変わったらまた、大婆様や司に会えるかしら?」


「会えるだろうさ。つくしが、心から大切な人だと思えば、どれだけの時間が流れても廻り回って巡り会えるよ、あたしの様にね。」


大婆様はそう言った時、遠い目をして窓の外を見ていた。

あたしはそれ以上の事を聞いちゃいけない気がして、何も言葉を発しなかった。

そろそろ司の披露の儀が終わると言う頃、大婆様との話にも一段落ついたあたしは自分の部屋で司が迎えに来るのを待つ事にした。


「大婆様、そろそろあたしお暇させてもらいますね。お城での生活が落ち着いたら、また遊びに来ても良いですか?」


大婆様の部屋から外に出た所で問いかけてみる。


「もちろんだよ。つくしなら大歓迎だ。いつでもおいで。若様にも宜しく伝えておくれよ。」


大婆様はそう言って笑った。


「えぇ、今度来る時は、お茶菓子でもお持ちしますよ。じゃぁ、また。」


あたしはそう言って会釈してその場を立ち去った。

この時、大婆様があたしの背中を悲しそうな目で見ていた事等、あたしは全く気付く事もなかった。

 

 


「また、繰り返されてしまうのかしらね…」


私は今から300年前の事を思い返していた。

身分違いの身で愛し合ってしまった男と女。

彼女と結婚する為には、その時代で国一番の金持ちだった彼が家を出るか、彼女がそれ相応の身分になるかのどちらかしかなかった。

彼女がそれ相応の身分になる事など、当時では天と地が引っ繰り返っても有り得る事ではなく、
結局彼がその家を捨てて
2人で駆け落ちする事になった。

全てを捨ててたった2人で遠い地まで逃げ、2人だけの結婚式を挙げて、何もなくても2人でそれなりに幸せに暮らしていた。

誰にも見つからない様に、もっと遠い地へ逃げる為に海を渡ろうとしていた、ある赤い月の晩。

彼の家が放った刺客達が2人を見つけてしまい、海を渡る事なく彼女は殺され、彼は国へ連れ戻された。

自分の目の前で彼女を殺された彼は、それ以後何も口にする事もなく日に日に弱り、
最後にはその時の流行病に侵され、彼女の元へと旅立った。

 

いつの時代でも惹かれあってしまう彼と彼女。

生まれ変わっても身分が違う事に変わりない事が、どんな事よりも辛い。


「あのお二方が幸せになる時代なんてあるのかしらね…」


今宵は、血よりも赤く水面より揺らめく満月が照らし出す夜。

何かが起こる様な気がしてならない。

どうか、あのお二方が幸せになれます様に…。

私には、そう祈る事しか出来ない…――――

Act.2