私の膝の上で抱き起こした体勢で目を閉じ、苦しげに呼吸を繰り返していたつくし様が、突然言葉を発した。

 



「さく…ら…もう…止めて…。復…讐して…も、家族は…帰って来…ないよ…」



 

そう言ってつくし様は、震える手をゆっくりと伸ばして私の頬に当て、親指をスライドさせた。

その時、初めて気付いた。私、泣いてたんだ…。

 



「私…悔しいんです。殺されていく家族を前に何も出来なかった事が。

私達家族は、人間と共存して行く為に、町で評判の良くない人間の血しか吸ってこなかったんですっ!

人間達だって、その人が殺されて喜んでいた癖に、どうしてっ!どうして、私の家族が殺されなきゃいけなかったんですか?!」



 

 


そうだ…

私達は、人間に命を狙われるような事をして来た訳じゃない…

確かに人の生き血を吸って生きている物の怪かも知れない。

だけど、誰彼構わず殺して来た訳じゃなかったのに…


人間と共存して行く為に、私達が生き延びて行く為に、お爺様やお婆様、お父様やお母様がそう決めた。

罪のない人間を殺すのは、いくら私達の食料だと言っても良い事じゃないからと。

なのに…

 



「ごめ…んね…さく…ら」



 


どうして…

どうして、お姉さんが謝るの?

つくしお姉さんは、何も悪くないのに…


 



「あた…し達…人…間が…罪…深い…生…き物で…ご…めん」


「お姉さん…」



 

怪我の所為で苦しいのとはまた別に、苦しげな表情をしてつくし様がごめんねと繰り返す。

 



「でも…ね…さくら…。復讐…なんて…してたら…人間と…同じ…だよ。…そんな…人間が許…せない…なら、同じ…事しないで…」



 

復讐しても家族は戻って来ないと、家族はそんな事を望んでいる訳じゃないと、つくし様は言う。

私が生き延びて、幸せになる事だけが家族の望みで、つくし様もそう願っていると…。

 

悔しくて、悲しくて、いつまでも涙が止まらない私に、つくし様は精一杯の笑顔で、

 



「あたし…のさ、…最後の…わがま…ま、聞いて…よ、さくら…。こん…な…事…やめ…よ…」



 

そう呟いた。

分かりましたと返事を返す代わりに、コクリと頷いて、もう一度心の中で止めなさい≠ニ呟く。

 

動物達が去った後に残されたのは、沢山の男達の死体と血の海だけだった。

 

 

動物達を止めた私に、つくし様は「ありがとう。」と言う。

 


感謝される事など、私は何もしていないのに…


 

それよりも私は、つくし様の怪我の手当てを早くしたくて、

 



「お姉さん、帰りましょう。怪我の手当て…」



 

と言い掛けた時、ドンッと背中に衝撃があったかと思ったら、口の中に血の味が広がった。

 



「へへっ…これで、物の怪は全滅…だぜ…」



 

ゆっくり後ろを振り返ると、最後の力を振り絞って私を刺したのだろう男が、地面に転がっていた。

それに気付いたお姉さんが、今まで苦しげに息をしていた人だとは思えない程の勢いで、私の脇腹からナイフを抜く。

 



「桜!大丈夫?!」



 


ちょっと、場所が悪かったみたいね…

暫く休まなきゃ、お姉さんを連れて帰れない…


 

吸血鬼が怪我をしても、人間の何倍もの速さでその傷は塞がる為、死ぬ事はない。

だけど、今回の傷は思ったよりも深くて、塞がるまでに暫く時間がかかるようだった。

 



「私は…大丈夫。暫く休めば…すぐ動けます…から」



 

息も絶え絶えにそう話す私に、つくし様は信じられない事を口にする。

 



「さくら…あたしの血…飲んで…」



 

驚いて声も出ず、じっとつくし様を見つめている私に、つくし様は微笑む。

 



「あたしの血…飲めば…すぐに…その傷治っちゃう…でしょ?…だから…飲んで…」


「わ、私の怪我は、血を飲まなくても治ります!大丈夫ですから!」



 

慌てて否定する私に、つくし様は声を上げて笑う。

 



「ははっ…あたし…もう…ダメみた…い…。このまま…死ぬ…なら…桜…の役に…立ちたい…の」



 

外傷はそれ程酷くないつくし様は、内臓が破裂しているのか、肌蹴た着物から覗く肌の色が青白かった。

苦しそうに息をしていると言う事は、肺に穴も開いているのだろう。

 



「司…がさ…向こうで…待って…のよ…もう…あたしも…来て…良いぜ…って、言って…れてる…と思うの…。

だから…このま…ま…つ…さに…会わせ…てよ…」

 

涙しか出なかった。

この世に、たった独りで残されるのは辛いけど、つくし様が司様に会いたいと言われるなら、

私はその願いを叶えてあげる事しか出来ないと思った。

 



「さ…ら…。あ…た…は、独…りじゃ…ない…よ。あた…の血…が…さく…らの中…に…入る…」



 

つくし様の声は、もうよく聞かないと聞こえない位小さなものだった。

つくし様が事切れる前に、

 



「つくしお姉さん、私、お姉さんが大好きでした…。

これからも…ずっと大好きです。いつかまた会えたら…その時も、お友達になって下さいね…」



 

それだけ伝えて、つくし様の首筋に歯を立てた。

私に血を吸われながら、つくし様は、

 



「当たり…前…でしょ…。あた…し…とさく…は…ず…友…よ。」



 

血の味に混じって、涙の味がする。

こんなに切ない想いで人の血を吸ったのは、初めてだった。

首筋から顔を上げ、最後に見たつくし様の顔は優しく微笑んでいた。

 

この時、つくし様が私に最後に残してくれた言葉は、

 




あたしも、桜が大好きだったよ。ありがとう…




と言う言葉。

 

誰もいない林の中で私はつくし様の亡骸を抱き、天に昇ったつくし様と司様が幸せである様に願いながら、声を上げて泣いた。

 
 
 
 
 
Act.16