私がまだ17歳の頃、私は司様に一目惚れした。
司様と直接お会いした事もなければ、お話した事もなかった私が初めて見た彼は、棺の中で眠っていた。
大人達が司様の眠る棺を持って火葬場へ運んでいる時に、私の前を通り過ぎようとした一瞬、私は初めて司様をお見かけした。
だけど、私にはその一瞬が、時が止まったように長く感じた時間だった。
衝撃だった。
こんなに綺麗な人がこの世にいた事に。
それと同時にショックだった。
彼が生きている時に会えなかった事が。
死んだ人間に一目惚れするなんて、おかしいし、間違った事なのかも知れない。
だけど、それ程棺の中で穏やかに眠る彼は美しかったのだ。
それから1ヵ月が経った頃、家の近くの川辺で私はつくし様にお会いした。
初めて会った時のつくし様の瞳は、何も映していなくて、とても深い悲しみの中にいるんだと言う事がすぐに分かる程衰弱していた。
当時のつくし様は、私より年上で21歳だと言っていた。
「あの…大丈夫ですか?」
身動き1つせず、静かに涙を流していたつくし様に、私は思い切って声を掛けた。
このまま放って置いたら、彼女が消えてしまいそうな、そんな気がしたからだ。
「え?」
隣に座って自分を見つめる私に、つくし様は不思議そうな顔をして振り向く。
「あっ…ごめんなさい…。お姉さんが泣いてたから、心配で…」
「ははっ、ヤダ、あたし、また知らない間に泣いてたみたい…。ごめんね、大丈夫、何でもないのよ。」
明らかに無理した笑顔で、そう話すつくし様が痛々しかった。
暫くの沈黙の後、誰ともなしにつくし様が話し始めた。
「近くにいるのが当たり前だと思っていた人が、突然いなくなった時って、何も出来なくなるのね…」
急に話し始めたつくし様が何を言っているのか分からなくて、私はつくし様の憂いを帯びた横顔をじっと見つめていた。
するとつくし様は、悲しそうに微笑んで、
「あたしね、恋人を亡くしたのよ…。あたしの所為で…」
と、ポツリと呟き唇を噛んだ。
どう言えば良いのか、何を言えば良いのか分からず、
唯黙ってつくし様の横顔を見つめ続ける私は、如何に自分が無力な存在かと言うのを教えられた気がした。
「彼ね、あたしの代わりに死んだの。殺されそうだったあたしを庇って、自分が…。
独り残されて、こんな想いをする位なら、あたしが死ねば良かったって…」
そう言って涙を流すつくし様。
その時の私は、慰めるつもりだったとか、そんなつもりは一切なかった。
でも、つくし様がそう言って涙を流している限り、つくし様の代わりに死んで逝ったつくし様の彼が報われないような気がしたから、
「お姉さん…。それは違うんじゃないですか?
折角、お姉さんの彼がお姉さんの事を命懸けで守ったのに、自分が死ねば良かっただなんて…。
そのお兄さん、今のお姉さんの言葉を聞いたら、きっと悲しむと思いますよ。
お姉さんの彼は、自分が死んだからってお姉さんにも自分の後を追い掛けて来て欲しいと思う様な人だったんですか?」
そう話した。
私の言葉に、つくし様は慌てて否定した。
「ち、違うわよ。司はそんな男じゃなかった。
あたしに後を追って欲しいなんて、きっとアイツは思ってない…。
だって、アイツお前が無事で良かった≠チて、最後にそう言ったから…」
「だったら、ちゃんと生きなきゃダメです。その…司?でしたっけ?
そのお兄さんがお姉さんに無事で良かったって言ったんだったら、
お姉さんはお兄さんに守ってもらった命を無駄にする様な事はしちゃダメです。
お姉さん、最近、ご飯も食べてないんじゃないですか?」
そう言った私の言葉に、つくし様は驚いた顔をして、
「…どうして分かるの?」
と、呟いた。
「だって、お姉さん、凄く細いから…。顔色もあんまり良くないし…。
私の家、ここの近所なんです。お姉さんがここにいつも来ている事、知ってたの。
1日のほとんどの時間をここで過ごしてるから、何も食べてないんじゃないかって、そう思って…」
つくし様は、自分がずっとここにいる事を知られていたのが恥ずかしかったのか、少し頬を染めて、笑った。
「そっか…。ありがとう、心配してくれて。
そうね、司が守ってくれた命、あたしが大事にしなきゃ、意味ないよね。
…ねぇ、あなたの名前は何て言うの?あたしは、つくし。宜しくね。」
つくし様の大きな瞳は、まだ涙で濡れていたけど、最初に見た時のように何も映していない暗い瞳ではなかった。
少しだけど光が宿ったような、そんな綺麗な瞳が川に反射した月の光を浴びて、キラキラと輝いて見えた。
この時のつくし様の笑顔を、私は今でも覚えている。
「私は桜子と言います。宜しく、つくしお姉さん。」
つくし様にそう微笑むと、つくし様も微笑み返してくれて、
「桜子…。綺麗な名前ね。じゃぁ、友達の証にあたしは桜って呼ばせてもらおうかな。」
そう言って笑った。
嬉しかった。
昼間、外に出る事が出来ない私には、友達なんて呼べる人達はいなかったし、
こうして人と話す事もあんまりなかったから、つくし様に友達≠ニ言ってもらえた時は、不覚にも泣きそうになってしまった。
「桜ちゃんは、あたしの命の恩人ね。司にも、会わせてあげたかった…」
「きっと、見てくれていますよ、お兄さん。お兄さんの身体はここにはないけど、お兄さんはいつもつくしお姉さんの傍にいますよ、絶対。」
月を見上げているつくし様と同じ様に、私も空を見上げて呟く。
「うん、そうだね。」と返したつくし様の声は、少し震えていた。
それから数ヵ月、私とつくし様は夜になると初めて会った川辺で待ち合わせ、他愛もない事を話していた。
そんなある日…
私はいつもの様につくし様にお会いする為に川辺へ向っていた。
すると、
「何なのよ、あんた達は!あたしが何したって言うのよ!」
と、大きな声で叫ぶつくし様の声が聞こえて来た。
つくし様の身に何かあったんじゃないかと、私は急いでつくし様の元へと向う。
お願い、私からたった1人の友達を奪わないで…
そう、願いながら…。
つくし様の姿を見つけたと同時に私の目に飛び込んで来た光景。
何人もの男達が鎌や槍を持って、つくし様を囲んでいた。
「あんた、あの物の怪と友達なんだろ?」
1人の男がつくし様に向って言う。
「物の怪?何の事?」
男の言う事を理解出来ていないつくし様。
止めて!それ以上言わないで!
私は、吸血鬼である自分の事を友達だと言ってくれたつくし様を失いたくなくて、今までずっと事実を言わずに来たのだ。
それを、こんな形でバラされるなんて嫌だ!
「あの邸の娘は夜になると町へ出て、人を食らう物の怪だって専らの噂だぜ?あんたも仲間なんだろ?」
さっきの男とはまた別の男が、そう言ってつくし様に鎌を向けた。
「桜が物の怪?」
そう言って訝しげな顔をするつくし様。
「そうだ。町の人間が何人もあの娘が男と歩いてるのを見たって言ってるんだ。
あの娘と歩いていた男は皆、翌日には死んでる。それが、あの娘が物の怪だって証拠だよ!」
また別の男がそう言う。
あぁ、また私は独りになってしまうのね…