「ねぇ、司、知ってる?遠い海の向こうの国には、何百年、何千年って生きている人が居るんだって…」



漆黒の長い髪を真っ白なシーツの海に漂わせながら、俺の胸に火照った顔を埋めて小さな女が呟いた。



「あぁ?んな訳ねぇだろ。人が何百年も何千年も生き続けるなんてありえねぇし。
お前、頭おかしくなったんじゃねぇの?」




彼女の頭の下に敷いていた手で髪を撫でていた手を止めて、彼女の顔を覗き込みながら言ってみた。

俺に顔を覗き込まれた彼女は、火照って少し赤い顔をさらに赤くして頬を膨らませ怒りながら、



「おかしくなんてなってないわよっ!桜の大婆様に聞いたの!
なんでもその人は、殺されてしまった愛しい人にもう一度巡り会う為だけに生き続けているんですって。
その人の姿は、どれだけ月日が経っても若いままなんだそうよ。」



大きくて少しでも気を抜くと吸い込まれてしまいそうな黒い瞳をキラキラさせて、一生懸命俺に向かって話してくる。




「桜のばばぁの言う事なんて、いちいち間に受けてんじゃねぇよ。
ったく、あのくそばばぁ、また変な事をつくしに吹き込みやがって…。
今度会ったら、また一言言ってやんなきゃなんねぇな。」



彼女の吸い付く様な肌に、空いていた方の手を彷徨わせながら俺は、どこから聞いて来るのかは知らないが、
つくしに色んな異国の地の話を吹き込むばばぁに言ってやる文句の言葉を考えていた。




「もうっ!桜の大婆様に変な事言わないでよね?
学校に行けないあたしに、色んな事を教えてくれてるのは大婆様なんだから…。
それより司。そろそろ、総二郎達が迎えに来るわよ。
早く服着て帰る仕度しなきゃ、城が大変な騒ぎになる。」




何も身に着けていない肌の上を彷徨っていた俺の手をピシャリと叩いて、
つくしはさっさと薄っぺらな布団の中から這い出して、着物を身に着け始めた。




「もうそんな時間かよ…。ったく、早く明日になんねぇかな。こんな逢瀬も、今日限りだな。
こそこそ隠れて会うなんて俺の柄じゃなかったけど、それも今日で終わりかと思うと清々するぜ。
明日、さっさと城に移って来いよ。これでやっとお前を、堂々と俺の許嫁だって言えるな。」




布団の傍らに無造作に脱ぎ捨てられた自分の着物に腕を通しながら、姿見に映るつくしに言った。

嬉しさのあまり、緩んでくる頬を、なかなか引き締められない。




「それは、司が跡目の披露の儀を無事に終えたらの話でしょ?もう少し位我慢してよね。
殿様も奥方様も無事に終わるまではっておっしゃってたじゃないの…」




全く…とブツブツ言いながらつくしは、長い髪を結わい簪を挿した。



「儀までって、明日じゃねぇか。それ位構ねぇだろ。
親父やお袋には話つけとくから、朝にでも城に上がって来い。」




まだ姿見の前に座っているつくしを後ろから抱きしめながら、俺は耳元で囁いた。



「ねぇ…、本当に殿様も奥方様もあたしとの事許して下さったの?
国の為に隣国のお姫様との結婚話があったって話じゃない…。
あたしみたいな農民の娘が、本当にあんたの正室になんて上がって良いのかな…」




胸の前で交差している俺の腕を握り締めながら、つくしは不安気な表情で尋ねた。



「良いも何も、あいつ等が言ったんだぜ?
跡目を継いで役目さえ果たせば、後の事は一切を俺に任せるって。
まぁ、何か裏があんのかも知んねぇけど、お前は俺を信じて着いて来てくれりゃ問題ねぇよ。」




俺はそう言って、長い髪を結って露になったうなじに唇を寄せた。



「そりゃ、あたしだって、死ぬまで司と一緒に居れたらって思うけどさ…。
あたしには何もないんだもん…。司の為に、何もしてあげられない。」




「何かして欲しいなんて思っちゃいねぇよ。
俺は、死が二人を別つまで永遠にお前が傍に居てくれりゃ、他には何もいらねぇんだからよ。」



振り向き俺を見上げるつくしの黒曜石の様な真っ黒な大きな瞳は、自信がないと言わんばかりに不安気に揺れている。




「大丈夫だから心配すんな。現に、俺の跡目の儀は明日だろ?
今までだって何も言って来なかったじゃねぇか。安心して俺に着いて来いよ。」




そう言いながらつくしの顎に指を掛けて上を向かせ、
小さく赤いふっくらとして潤った唇に自分のそれを優しく重ねた。



 


ドンドンッ



 


薄い木の戸を叩く音が聞こえてる。


この音が二人の逢瀬の終わりを告げる合図である事を、俺達は嫌と言う程知っている。

俺は名残惜し気につくしの唇を離すと、チッと舌打ちして「時間だ。」と一言残し、立ち上がった。



「兄貴、時間だぜ。」



戸の向こう側から、俺の義弟である総二郎の声が聞こえた。


 


この時代、一夫多妻は当たり前。

俺の母親は大大名である父親の正妻で、総二郎達の母親は親父の内縁の妻にあたる。

長男の俺の母親が北の奥方、北ノ条・楓。次男の総二郎の母親が南の奥方、南ノ上・雅。

三男のあきらの母親が西の奥方、西ノ君・夢。四男の類の母親が東の奥方、東ノ姫・唯。


俺が父親の跡を継いで、弟達は俺のサポート役の地位に22歳になると同時に就任する。

総二郎が来年、あきらが2年後、そして類が3年後に就任して初めて俺達の時代がやって来る。

それまでは、父親達の言いなりになるしかないのが現状だ。

好きな女一人に会うにも時間は限られ、自分の部屋へ連れて行く事も出来ない。

でも、それもやっと明日で終わる。


 


「総二郎か…。分かってる、今行くよ。じゃぁな、つくし。明日迎えに来るよ。」



木戸に手を掛け、つくしの方へ向き直った。

つくしも立ち上がって、俺の傍へ寄って来る。



「うん、明日ね。ちゃんと披露の儀、無事終わらせるんだよ。あたしは明日、大婆様の所へ挨拶に行くから。」



そう言って、俺ににっこり笑った。



「あぁ、ちゃんと儀が終わる頃には戻って来いよ。」



俺はそう言って、つくしの額に軽くキスをした。


 


木戸を開けると、類が近くに繋いでいた俺の馬の手綱と自分の馬の手綱を引いて待っていた。

あきらも総二郎も、それぞれの馬を引いている。



「いつも遅くに悪いな、つくし。時間だから、司を迎えに来た。」



総二郎がそう言って、つくしに申し訳なさそうに声を掛ける。



「気にしないで、総二郎。あんた達も大変ね。いつもいつも、お迎えご苦労様。でも、それも明日で終わるから。」



つくしはそう言って少し頬を赤らめて、総二郎ににっこり笑った。



「明日の儀が終わったら、つくしは城に上がるんだよな。そしたら、つくしが俺等の義姉になる訳だ。」



あきらがそう言って、つくしに微笑む。



「つくしが義姉なんて、なんか変な感じ…」



クスクス笑いながら類が言う。



「つくしは義姉って言うより、義妹って感じだよな。」



総二郎がつくしをからかう。



「あんた達に言われたかないわよっ。
少なくとも、あんた達のお兄さんよりはしっかりしてるつもりよ。
一番上の司がこんなのなんて…。先が思いやられるわよね…」




つくしはそう言って俺の顔を見た後、はぁ…と溜息を吐いた。



「何だよ、その溜息は…。俺は正真正銘、こいつ等の兄貴だってーの。
じゃぁ、あんま時間ないし、行くわ。類…」




隣に並んで居たつくしの垂らした髪に指を差し入れ少しだけ掬い上げ、
髪にキスを落として頭を撫で、類に渡された馬の手綱を取った。


俺が馬に跨ると、総二郎、あきら、類も続いて馬に跨った。



「明日、迎えに来れるのは子の刻(0時から2時の間)頃になると思う。
かなり遅くなるだろうけど、寝てんなよ。」




今にも走り出しそうな俺の愛馬を大人しくさせながら、つくしにそう言って微笑んだ。



「いつも寝てばかりみたいに言わないでっ!ちゃんと待ってるわよ。明日、頑張ってね。お休みなさい。」          



つくしは、そう言ってにっこり笑って手を振った。



「あぁ、お休み。早く入れよ、風邪ひくぜ。行くぞ。」



つくしに言った後、総二郎達に声を掛け、
真っ黒な毛並みの国の中で一番早く賢いと言われている俺の愛馬の黒曜(こくよう)の腹を蹴った。


俺に声を掛けられた総二郎達も、つくしに「お休み。」と微笑みかけた後、

それぞれの愛馬の腹を蹴り俺の後に続いた。




 



この時の俺は、次の日から始まるであろうこれからの2人の生活に胸を躍らせていた。


やっと、やっとこんな逢瀬をせずに、堂々と2人で居られる生活が始まる。

時間を気にする事等なく、自室に戻ればつくしの笑顔が見れる毎日が続くと本気で思っていたんだ…。

これから見るであろう地獄絵図等、微塵も予想していなかった…―――




Act.1