修と陵が英徳学園初等部の3年生、享が2年生になったばかりのある春の日の夜。
夕食を食べ終わり4男の龍を自分の膝の上に乗せながら、リビングで絵本を読み聞かせていたあたしの耳に、
パタパタパタパタと複数の子供達が走って来る音が届く。
ん?と思って絵本から視線を上げリビングのドアを見ていると、
「ママぁ〜、次は?そのお姫様、どうなっちゃうの?王子様はどうやって助けるの?」
と、龍があたしを下から見上げる格好で聞いて来る。
どうやら、今の龍にはお兄ちゃん達の足音は聞こえていないようだ。
意識は完全に今あたしが読んでいた絵本に向いている。
「ちょっと待ってね…」
と、龍に言いかけたところでリビングの扉がバンッと開き、
「「「母さんっ!!」」」
と、龍のお兄ちゃん達であるミニチュア・司と言うべき、修・陵・享の3人が傾れ込むようにリビングに顔を出した。
全ての意識を絵本に向けていた龍は、まさかそんなに大きな音が聞こえてくるとは思っていなかったらしく、
あたしの膝の上で飛び上がった。
小さい子特有の大きな瞳をこれでもかと言わんばかりに見開き、リビングに入って来た兄達を見つめている。
「俺の宿題が先に決まってんだろ?お前等のお兄ちゃんだぞ?」
と、リビングに入って来るなり、陵と享にそう言って怒る修。
「修と俺、双子じゃん!お兄ちゃんも弟もねぇだろ?!俺も宿題片付けてぇの!」
と、修の言葉に噛み付く、陵。
「俺が一番時間掛かるんだから、先にやらせてくれても良いじゃん!」
と、一番下の権利を振り翳す、享。
三者三様の言い分に何が何だかさっぱり分からずに、
3人の様子をジッと見ていたあたしの耳に、どこまでもマイペースに事を理解する龍の、
「そっかぁ…。王子様は、こうやって助けに来るんだね?ね、ママ、そうでしょ?」
キャッキャッと嬉しそうに笑う声が聞こえていた。
「ちょっと、ちょっと何なのよ、アンタ達…。部屋に入って来るなり喧嘩なんかして、どうしたの?」
龍に、「そうかもね…」なんて曖昧に答えてから、あたしは未だに睨み合いを続けている3人に言葉を掛ける。
そんなあたしに、待ってました!と言わんばかりの様子で、あたしと龍が座っているソファーに近付いて来た3人。
あたしの質問に答えてくれたのは、修だった。
「俺達、宿題してたんだ。3年生になったばっかりなのに、もう宿題出ちゃって…」
「その宿題が2年生の時にもやったやつとあんまり変わんないんだけど、やってる間に分かんなくなってきちゃって…」
そう言ったのは陵。
難しい顔をしながら、手に持っていたプリントをジッと見つめている。
「俺も修兄と陵兄と一緒。3年生と同じような宿題出たんだ。でも、俺も分かんなくて…」
享はそう言って困った顔をした。
2年生の時にも、同じような宿題をした?
2年の享にも、修と陵と同じような宿題が出た?
一体どんな難しい宿題が出たって言うのよ…
3人の言葉に、益々意味が分からなくなるあたし。
なので、単刀直入に聞いてみる事にした。
「で、3人が分からない問題って何?」
自分1人でも片付けられる宿題は、子供部屋で子供達だけでやらせている。
だけど、最近上の3人は3人揃って宿題をした方が、分からない事も聞けて効率が良い事を理解したのか、
それとも答えを教えてもらえるからだろうか、3人集まって宿題をしている時の方が多い。
滅多に宿題をしている最中に、3人であたしの所へ来たりする事はないんだけど、
時々3人揃っても埒が明かない宿題の時は、こうしてあたしに聞きに来る。
司がいる日は司に聞きに行く事が多いんだけど、その度に「お前等…こんな事も分かんねぇのかよ…」と馬鹿にされている。
その度に、「分かんねぇから、聞いてるんだろ?!」と怒りながらも俄然やる気を出している3人。
司は3人のそんな性格を理解しているからなのか、それとも唯単に子供達をからかって遊んでいるだけなのか…。
どっちにしても挑発されればされる程、馬鹿にされればされる程、それに反発しては闘志を燃やしている子供達は、
間違いなくあたしと司の血を受け継いでいると思う。
享に至っては育て方…なのか、上の2人をよく見ているのか。
実の子達と同じ位、あたしにも司にも似て来ていている。
そのあたしの質問に、3人は声を揃えて、
「「俺の趣味って何?」」「俺の好きな事って何?」
と、答えた。
そんな3人の言葉を聞いた龍が、さっきまであたしが読んであげていた絵本をパラパラと捲って遊んでいた手を止めて、
「しゅみってなぁに?」
と、またややこしい質問をする。
趣味って、自分の好きな事とか楽しみにしてる事を言うんだけど…
「俺の趣味って何?」って、あたしに聞かれたって分かる訳ないじゃないのよ…
修は、ピアノかな?
レッスンも、楽しそうだし…
陵は、バスケット?
司が休みの度に、誘ってるし…
享は、お料理?
あたしと一緒によく作ってるもんね…
でも、どうしてそんな簡単な事が分かんないのよ??
子供達の言う事に、完全にテンパってしまったあたし。
そんなあたしに、何、何?と言うように、キラキラした眼が6つ向いている。
そんなあたしの状態にはお構いなしに、
「ねぇ、ママぁ〜、しゅみってなぁに?」
と、またしても聞いて来る龍。
あぁ、もう!
どうしてこんな日に、司はいないの?!
とりあえず、あたしが質問に答えるまでは決して諦めようとしない龍の質問に、
「趣味って言うのはね、好きな事とか楽しみにしている事を言うのよ。龍の趣味はなぁに?」
と答え、逆に聞き返す。
龍が考えている間に3人の質問に答えようと思っていたのに、この問題児は、
「龍?龍のしゅみは、ママだよ!」
と答えた。
「「「「はぁ?!」」」」
龍の言葉に即座に返って来た反応。
予想していなかった龍の言葉にあたしは驚いて声が出なかったのに、反応した声は4人分。
え?と思ってリビングの扉の方を見ると、不機嫌そうな顔の司が立っていた。
「あっ…。お、お帰り、司。ごめん、帰って来たの、全然気付かなかった。」
慌てて龍を膝から下ろし司の荷物を受け取る為に傍へ駆け寄ろうとしたけど、
その前に司が長い足を最大限に利用してあたしの座っているソファーまで、たった数歩で近付いた。
「構わねぇよ。使用人が、お前は今忙しそうだっつってたからな。」
そう言いながら、「ただいま。」とあたしの唇にキスを落とす。
あたしも「お帰り。」と言いながら、それに答えた。
修と陵、そして享にも「ただいま。」と言いながら額にキスを落としていく司。
3人は「お帰り、父さん。」「今日は早かったんだね。」とそれぞれに言いながら、挨拶だけを返す。
まぁ、この歳で父親にキスを返す子はいないわよね…
なんて事を思いながら、子供達の様子を見ているあたし。
そして司は、最後にあたしの膝の上に座ったままの龍を抱き上げて、「ただいま、龍。」とキスをし、
龍から「パパぁ〜、お帰り!」と頬にキスを返された直後、優しく微笑んでいた笑みは消え、また不機嫌そうな顔に戻った。
「龍、お前の趣味がつくしってどう言う意味だよ?つくしは、俺のだぞ?」
司が不機嫌なのは、あたしが出迎えに行かなかったから?なんて思っていたあたしは、唯の馬鹿なんだろうか。
アンタが不機嫌だったのって、それに対してだったの?!
「ママは龍のママだよ!あのね、龍はママが好きでしょ?でね、ママはいつも楽しいの!だから、龍のしゅみはママなの。」
そう言って司にニッコリ笑う龍。
あたしが、趣味とは、自分の好きな事や楽しみにしている事≠ニ言ったばっかりに、
少し思い違いをした龍は、好き=ママ、楽しみにしている=ママと遊ぶ事≠ニ思ったようだ。
その方程式で導き出された答えは、趣味=ママ≠ネんだそう…。
う〜ん、子供の頭の中は未知の世界って本当だ。
あたしがその答えに辿り着いた時、司も同じ答えに辿り着いたようだ。
「なる程ね。でもダメだぞ、龍。つくしは、俺の。幾らお前でも、それだけはぜってぇ譲らねぇからな。」
龍の答えに納得したのか、司はそう言って龍を抱いたままソファーに腰を下ろした。
「で、お前等は何でここで宿題なんかしてんだよ?また、何か分かんなかったのか?」
龍を膝に乗せたままの状態で、スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩め、
ワイシャツのボタンを器用に片手で上から3つ程開けながら、司は向かいに座る修と陵と享に聞いた。
3人は司にまた≠ニ言われた事にムッとしたのか、
「これが分かんなかったんだよ…」
と不機嫌な態度を隠しもせずに、プリントを差し出した。
あたしも司の隣からそのプリントを覗き込む。
そのプリントは、自分の簡単なプロフィールなどを書き、自己紹介をしなさいと言うものだった。
前年とは違ったメンバーで始まる新学年、そして新しい学年になる度に行われるクラス替え。
前年同じクラスだった子も勿論いるだろうけど、中には初めての子だっている。
英徳学園の初等部は親達の繋がりも強化する為なのか、ほぼ総入れ替え状態でクラスが編成される。
修や陵の学年の3年生は1クラス30人で、6クラス。
享の学年の2年生も1クラス30人で、5クラス。
それだけの人数が毎年入れ代わるのだから、ほとんどが初対面の子達になるのも不思議じゃない。
手っ取り早く自己紹介をさせる為にこう言った宿題を出し、
授業中に発表させて子供達の関心を他の子供達に向けさせるのが目的なんだろう。
これは英徳だけじゃなく、公立の学校も私立の学校も国立の学校もきっと同じ。
で、修と陵が分からないからとあたしに聞いてきたのは、問題の趣味≠フ欄。
享のプリントも他はほとんど埋め尽くされているけど、好きな事≠フ欄は空白だった。
「どうして、これが書けないんだ?好きな事を書けば良いだけだろ?」
不思議そうな顔をして、プリントを手渡した修に返す司。
あたしも、司の意見と同じだ。
「俺はピアノとバスケって書こうと思ってたんだ。」と、修。
「俺も修と同じ。でも、享がさ…」と、陵。
「何で、俺の所為なんだよ?好きな事って聞かれても、沢山あり過ぎて分かんないって言っただけじゃん。」
と、享がムッとしたように言った。
「分かった。分かったから、喧嘩しないで。
つまり、修も陵も享も、好きな事が沢山あってどれにすれば良いのか、悩んでるって事でしょ?」
あたしがそう言うと、「そう言う事…かな?」と答えを返して来た3人。
「だって、好きな事なら沢山あるんだぜ。」と、修。
「だよな、ラジコンで遊ぶのも好きだし、父さんとバスケするのも好きだし、母さんと追いかけっこするのも楽しいし…」と、陵。
ちょっと待って、陵…
その追いかけっこは鬼ごっことかじゃなくて、
アンタ達が悪さしたのを怒る為にあたしが追いかけるのに、アンタ達が逃げるだけでしょうが…
陵の言葉にあたしがそんな事を思っていると、隣の司が、
「お前…いい歳して、んな事してんのかよ…。元気だな…」
と呆れたような顔であたしを見る。
「ち、違うわよ!それはっ…」
と、あたしが反論しようとした時、享が話を戻した。
「俺は母さんと料理するのが好きだし、父さんと天体観測するのも好きだし、
修兄や陵兄とバスケするのも好きだし、龍に絵本読むのも好きだし…」
享が話しているのに司に反論する訳にもいかず、あたしは不完全燃焼気味になりながら、子供達の話に意識を戻した。
「ねぇ、パパとママのしゅみってなぁに?」
それぞれが趣味について考えている時、やっぱり周りの空気を読まない龍が突然、あたしと司に話を振った。
「え?ママの趣味?」
「うん!ママのしゅみは、龍?」
ニッコリ笑顔で肯定し、そしてキョトンとした顔をして龍が聞く。
「そうねぇ、龍の事は大好きだけど、趣味…とはちょっと違うかな?だって、龍は人で物じゃないもの。」
と、あたしがニッコリ笑うと、あたしの言った事が難し過ぎたんだろう。
龍は頭に沢山の?を浮かべていた。
すると、司が意外な事を口にした。
「そうか?俺の趣味は家族≠セけどな。」
へ?司?
あまりに意外な司の言葉に、あたしは龍に向けていた視線を司に移す。
そんなあたしの視線に気付いた司はあたしを見てニヤリと笑い、
「だってよ、趣味って自分の好きなことや楽しむ事っつー意味だろ?だったら、龍の言う通りじゃねぇか。
俺はお前等、家族と過ごすこんな時間が好きだし、修や陵や享とバスケしてる時は楽しんでる。
ってか、俺にしてみりゃお前等自体が面白くて仕方ねぇし、
こんなに俺を楽しませてくれる存在なんて、お前等以外に考えらんねぇしな。」
と、正面に座っている子供達に向ってニヤリと笑った。
そして、またそれに反応する修と陵。
「俺達が面白いってどう言う意味だよ、父さん!」
「それじゃぁ、俺達が馬鹿みたいな言い方じゃねぇか!」
食って掛かる修と陵に司は、
「お?俺の言ってる意味が分かったのか?何だ、お前等には分かんねぇだろうと思ってたのに、頭良いじゃねぇか。」
と言って、笑う。
その司の言葉で修と陵の我慢は限界を超えたのか、「このっ…」と言いながら、2人揃って司に飛び掛って行った。
「うぉっ!お前等、2人掛かりは卑怯だろ?!」
と言いながらスーツ姿のまま、ちゃっかり修と陵の相手をしている司。
龍はそんな3人を見ながら1人、嬉しそうに笑っていた。
さっきから1人静かな享。
ふと様子を見ると、さっきは空欄だった好きな事≠フ欄に一生懸命何やら書き込んでいる。
「享、好きな事思いついたの?」
あたしがそう言って享の手元を覗き込もうとすると、
「ダメだよ、母さん。今度の授業参観の時に発表するんだから、それまでのお楽しみ。」
と、プリントを隠されてしまった。
一頻り暴れて満足したのか、修と陵も元いた場所に戻って来て、
「俺の趣味、決まった。」
「俺も。これ以外なんて、考えらんねぇよな?」
と2人で顔を合わせてニヤリと笑った後、司に向ってにんまり微笑んだ。
「何だよ、その笑いは…」
修と陵の笑顔に嫌な感覚を覚えたのか、司の口元が引き攣っている。
「別に?なぁ、陵。」
「おぅ!授業参観、楽しみにしててよ、父さん!」
修と陵はそう言うと、「享、終わったか?」「終わったら、もう寝ようぜ!」と、子供部屋へと享と龍を置いたまま戻って行った。
「龍、おいで。お兄ちゃんとねんねしよう。」
あたしの横でいつの間にかうつらうつらしていた龍に、享はそう声を掛けて子供部屋へと連れて行こうとする。
眠そうな龍を享だけで部屋へと連れて行かせる事に、少し不安があったあたしは龍を抱いて、
「享、ママが連れて行くわ。」
と言うと、司が横から龍を取り上げて、
「俺が連れてく。お前は俺の上着持って部屋戻ってろよ。」
と、あたしの頭をクシャクシャと撫でて、リビングを後にした。
部屋へと戻る道すがら、さっき司の言った事を考えてみる。
趣味は家族…。
あたしは龍に、趣味とはちょっと違うかも?なんて言ったけど、
司の言った事を聞いていたら、確かにそうかも…なんて妙に納得してしまった。
あたしの好きな事は、家族とこうして何気ない時間を過ごす事。
楽しんでいる事は、司と子供達がじゃれている光景を見る事。
やっぱり、あたしの趣味も家族≠ゥも知れない。
そんな事を考えながら部屋で司が戻るのを待っていると、捲し上げたシャツを元に戻しながら司が戻って来た。
はぁ〜…と溜息を吐きながら自室のソファーに腰を下ろした司に、
「帰って来て早々、お疲れ様。」
と声を掛ける。
「たまには、こんな日も良いな。やっぱあいつ等、おもしれぇわ…」
そう言って司は笑う。
司がバスを使っている間に、晩酌の準備をしておこうと思って席を立とうとすると、
「風呂、一緒に入ろうぜ。」
と腕を掴まれた。
「あたし、もう入ったし…」
突然の司の言葉に、瞬時に染まるあたしの顔。
初めて一緒に入る訳でもない癖に、いつまで経ってもあたしは照れてしまう。
「良いから、付き合え。俺のもう1つの趣味、教えてやる。」
そう言ってニヤリと笑う司に、あたしの危険信号が点滅し出す。
「い、いやぁ〜!あたしは、晩酌の準備するのぉ〜!」
ズルズルとあたしをバスへと引き摺って行く司に思い切り抵抗している内に、司に担がれてしまった。
「俺の趣味家族≠セし、もう1つの趣味はお前≠セから、諦めろ。」
あたしを軽がると担ぎ上げて、クスクス笑いながらそう言ってバスへと進んで行く司。
そんな司にあたしが抵抗したところで諦めてくれるはずなどなく、あたしはそのままバスへと入る羽目になってしまった。
後日、時間差で行われた授業参観の日に発表された修と陵、そして享の趣味。
修と陵は流石双子と言うべきか、書いている事はほぼ同じだった。
趣味
家族。 打倒、父さん!
道明寺 修
趣味
家族。 父さんには、ぜってぇ負けねぇ!
道明寺 陵
そして享の趣味。
好きな事・もの
俺の家族。 皆の笑顔を見る事。
道明寺 享
3人の授業参観に、仕事を休んで参加していた司。
修と陵の趣味にお腹を抱えて笑い、享の趣味に瞳を潤ませていたあたしに、「良かったな…」と言ってあたしの肩を抱いてくれた。
趣味は家族。
司はとても凄い事を、子供達にもあたしにも教えてくれた。
ん?でも、この場合、教えたのは龍?