『お前、何やってんだよ?今は昼寝の時間だろ?!
使用人が、お前が昼寝しねぇって俺に電話して来たぞ!どう言う事だよ?!』
あたしが自分の携帯の通話ボタンを押した途端に聞こえて来たのは、
最近、あたしの苛々の原因を作っている張本人である我が夫、道明寺 司の怒鳴り声。
この後、司が何を言うかなんて、考えるまでもない。
「何?何か用なの?何も用がないなら切るわよ?あたし今、仕事で忙しいの。」
無愛想なあたしの声。
きっと電話の向こう側では、こめかみにこれでもかと言う程の青筋を立てて、鬼の様な形相の司がいるに違いない。
今、司の近くにいるのが西田さんなら良いんだけど…
あたしはそんな事を考えながら、次に聞こえてくるだろう怒声に備えて携帯を耳から離した。
『ふざけんなっ!何で今、仕事なんてしなきゃなんねぇんだ!
今のお前の身体はお前だけの身体じゃねぇんだって、何度言えば分かんだよ?!
その仕事だって、お前がやんなきゃいけねぇ仕事じゃねぇだろ?他の奴にやらせれば良いじゃねぇか!』
携帯を耳から離していても聞こえてくる司の大きな声。
そんなに大きな声出したら、赤ちゃん達もびっくりしちゃうじゃないの…
そう思いながら、あたしは深い溜息を吐いてもう一度携帯を耳に当てた。
司と結婚して1年と半年。
今、あたしのお腹の中には、小さな命達が宿っている。
日本で英徳大学を卒業してからすぐにN.Yへと渡り、結婚してからはずっとこのN.Yにある道明寺邸で暮らしている。
結婚後1年経ってから双子を妊娠したあたしは、それまでの生活から一変した生活を強いられている。
あたしが妊娠してからと言うもの、ここの使用人さんは司の命令に従ってあたしの行動を制限する。
妊娠するまでは仕事も普通にこなしてて、司の帰りの早い日なんかは晩御飯だって作っていたのに、
妊娠してからは一切何もさせてもらえなくなった。
それだけじゃない。
こうしてお昼寝の時間まで決められていたり、散歩の時間まで決められている。
何もしないでジッとしている事なんてあたしには無理な話で、お義母様に相談して少しだけど家で出来る仕事を与えてもらった。
なのに、その仕事をする時間さえ制限されている今の状態…。
幾ら心配だからって、ここまで過保護にしなくったって大丈夫。
妊娠中でも普通のお母さん達は皆、買い物に行ったり家事をしたり、普通の生活を送ってる。
だから、あたしにも好きなようにさせて!って、普通の生活をさせて!って何度も言ってるのに、
あたしの旦那様は「子供達に何かあったら、どうすんだ?!」って聞く耳を持ってはくれない。
今までは悪阻があったり、初めての妊娠で自分の身体の変化に戸惑って、
大人しく司によって決められたタイムテーブルに渋々ながらも従っていたあたしだけど、もう我慢の限界。
安定期に入って2ヶ月。
軽い運動もショッピングも、今の時期なら小旅行やコンサートにだって行けるって産婦人科の先生も言っていた。
それなのに、何もしないで家に閉じ篭っているだけなんて…。
仕事も満足にさせてもらえないなんて、そんなのあたしにしてみりゃ、拷問と一緒なのよ!
「嫌よ!これはお義母様があたしの為に用意して下さった仕事なの!
他の人になんて任せられる訳ないじゃない!何度言われたって分かんないわよ!
妊娠は病気じゃないって、いつも言ってんでしょ?!」
今まで溜まっていた鬱憤が爆発して、携帯越しにあたしまで司に怒鳴り返していた。
仕事して何が悪いのよ?
好きな時間に、好きな事して何が悪いって言うのよ?!
決められたタイムテーブル通りになんて、生活出来る訳ないでしょ?!
我慢して苛々しながら生活してる方が、よっぽど赤ちゃん達にとって良くないって言うのよ!
『わ、分かった。分かったから、とりあえず落ち着け…。んなに怒ってたら、腹の子に障るだろ?』
今までの怒りはどこへ行ったのか…。
突然、司の声が優しく変わる。
今まで司に何を言われても怒鳴り返した事なんてなかったあたしが、
突然今までの鬱憤を晴らすように携帯越しに大声を出した事に驚いたのか、司は慌ててそう言った。
が、それが余計にあたしの癪に障る。
止めてよ!
変に気を使ったりしないで!
あたしは病気じゃないの!唯の妊婦なの!
我慢すればストレスだって溜まるし、そのストレスが爆発しちゃう時だってあるのよ!
もう良い…もう限界…
ずっとこんな所にいたら、息が詰まっておかしくなる!こんな所、出てってやる!
『お、おい!つくし?!お前、何言ってんだ?!』
携帯から聞こえて来た司の声にハッとした。
自分では思っていただけのつもりだったのに、どうやら声に出してしまっていてみたい…。
一度言ってしまった事を訂正する気にはなれなくて、あたしは慌てて、
「で、出て行くって言ったのよ!こんな所にいるの、この子達にだって絶対良くない!あたし、今すぐここから出てくから!」
それだけ言い捨てて、携帯の電源を切った。
い、言っちゃった…
言っちゃったよ、出て行くなんて…
売り言葉に買い言葉。
そこにあたしの意地っ張りと今日までのストレスが重なって…。
ど、どうすんのよ、あたし…
行く所なんてない癖に…
日本ならまだしも、ここはN.Yだよ?!
自分の言ってしまった事の重大さに気付いたあたしは、そのまま呆然と携帯を見つめていた。
こ、このままボーっとしてたって仕方ない。
出て行くって司に言っちゃったから、きっと仕事を放り出してでも今から帰って来るだろう。
その前にどこかに身を隠さなきゃ!
捉まったらまた、今まで通りの生活をしなきゃなんない。
そんなの嫌よ!
そう思ったあたしは、慌てて着替えを済ませ、支度を整える。
LOUIS VUITTONのスハリ・ライン、ロックイットMM。
ゴートレザー製でオフホワイトの少し大きめなバッグ。
あからさまにブランドを主張するようなデザインが苦手なあたしの為に、
椿お義姉さんがお土産にとフランスへ行った時に買って来てくれたもの。
こんな時に役に立つなんて思ってなかったけど、今回ばかりはお義姉さんに感謝だわ。
ボストンバッグじゃ如何にも家出しますって感じで怪しまれるし、これ位のサイズのバッグが丁度良い。
そのバッグにあたしはお財布と日本から取り寄せた母子手帳、道明寺家お抱えの医師の連絡先、
少量の着替え、それから今までやっていた仕事の書類を準備し、詰め込む。
携帯は…。
司が何かあっては困るからとGPSを仕込んでいたはず。
だから、今回はここでお留守番。
GPS付きの携帯を持って家出なんて有り得ない。
実家に帰らせて頂きます…
机の上に置いていこうと思っていた置手紙に、そう書こうとして手を止めた。
実家って…日本じゃん。
帰れる訳ないよね…
じゃぁ、何て書けば良い訳?
暫くうんうん唸って、漸く書いた置手紙には、
その手紙の横には、あたしの携帯を。
ふふん。
携帯置いて行くんだから、あたしがどこに行ったかなんて司に分かる訳ないわよね。
これで、よしっ。
部屋を出てエントランスに向うまでに、使用人さん達が1人で出かけようとするあたしに慌てて声を掛けて来る。
「司の用事を頼まれたので、少し出掛けてきます。」と、にっこり笑って言えば、使用人さん達には何も言えない。
「お気を付けて、行ってらっしゃいませ。」と、丁寧に頭を下げて送り出された。
エントランスで車に乗り込み、行き先を尋ねる運転手さん。
勢いで荷物を纏めて出て来ちゃったけど、行く場所なんて考えてなかった。
大きなお腹を抱えて家出なんて、あたしだって不安で仕方ない。
邸にいる人達に一々構われなきゃ、どこだって良い。
自由になれて、安心出来て、周りに迷惑が掛からない場所…。
あたしの頭には1つの場所しか浮かばなかった。
「メープル・ホテルまで、お願いします。」
あたしの言葉に、「畏まりました。」と一言言って、運転手さんは車をゆっくりと発進させた。
1日中邸にいるあたしに、司はSPを付けていない。
それだけは嫌だとあたしが頑として言い続けたのだ。
使用人さん達に見張られて、その上、SPの人達にまで周りを囲まれるなんて冗談じゃない!
SPさんはいらないと言い続けたあたしは、何て先見の明があったんだろう。
今日程、SPさんが付いてなくて良かったと思った日はない。
車窓から流れる景色を見つめながら思う。
確かに時間は流れてるんだって…。
妊娠して半年、邸の敷地内からほとんど出なかったあたしは、ずっと世間から取り残されているような感覚を覚えていた。
テレビのニュースや新聞なんかで、世界の動きは分かる。
だけどそれは、唯の情報であって身近に感じられるものじゃない。
流れる景色の向こうには、忙しそうに早足で歩いている人もいるし、
携帯で仕事の電話をしているのだろう、時計をチラチラと確認しながら話している人もいる。
あたしも半年程前までは、確かにあの中にいたのに…。
子供が出来たからと言って、今までの生活を180°変える必要があるんだろうか。
司がすぐに無理をしてしまうあたしの為に、無理をしないようにタイムテーブルを考えてくれたんだって事も、
あたしの身体や赤ちゃん達を心配して言ってくれてるんだって事も、十分に分かってる。
まだ完全には慣れていないN.Yでの生活、そして初めての出産。
初めての事だらけの中であたしは不安で仕方ない。
でも、きっとそれは司も同じ。
だから、必要以上の事をしてくれようとしているんだろう。
それはあたしにだって分かってるけど、でも…。
お互いが思っている事が上手く噛み合わない。
一番分かって欲しい人に分かってもらえない。
それが、とてももどかしくて、苦しくて、時々逃げ出したくなってしまう。
それは昔から変わらない、あたしの悪い癖だ…。
あたしがそんな事を考えていると、車がスーッと静かに見覚えのあるエントランスへ停車した。
あたしが降りる準備をしている間に、運転手さんがドアを開けてくれる。
「ありがとうございます。帰りはまた連絡しますので。」
そう言って軽く会釈すると、運転手さんはにっこりと微笑んで「畏まりました、行ってらっしゃいませ。」とお辞儀した。
車から降り立ったあたしの荷物を素早く受け取りに来るドアマン。
「いらっしゃいませ、つくし様。お部屋の方へご案内致します。」
そう言いながらあたしをロビーへと誘導してくれる。
大きなお腹のあたしの速度に合わせて歩いてくれるから、急がなきゃって焦る必要もない。
ロビーに通されたところで、あたしの荷物はドアマンからベルボーイへと手渡される。
その時にドアマンがあたしの名前をベルボーイに告げた。
それだけでベルボーイは心得たように、
「つくし様、暫くそちらのソファーでお待ち下さい。チェックインをしてまいりますので。」
と恭しく頭を下げてフロントへと向って行った。
フロントに向っていくベルボーイの後姿を見つめながら、あたしは大事な事に気付く。
フロントに口止めしておかなきゃ、意味ないじゃない!
それに気付いたあたしは、待ってろと言われたにも関わらずベルボーイの後を追ってフロントに向った。
「つくし様?どうかなさいましたか?」
「あの、私がここに来た事、誰にも口外しないで頂けますか?勿論、主人にも…」
あたしの言葉に本当なら訝しげな顔をするだろうに、流石プロと言うべきか。
お客のプライベートに関しては、一切踏み込もうとしないその姿勢。
にこやかな笑顔を絶やさないまま、フロントの担当者は、
「畏まりました。司様からご連絡がありましても、つくし様の事は私共からは申し上げぬよう、館内に通達しておきます。」
そう言ってベルボーイに、道明寺のプライベートルームのカードキーを渡した。
メープル・ホテルの最上階、会員制のスカイラウンジがある階のまだ上の階にある道明寺のプライベートルーム。
勿論、この部屋は一般には知られていない。
その部屋に通されたあたしは、ベルボーイにチップを渡しお礼を言って部屋の扉に鍵を掛けた。
はぁ〜…
何だかここに来るまでに、随分疲れた…
リビングのソファーにゆっくりと腰掛けて、あたしは深い溜息を吐く。
司は、部屋に置いてきた置手紙見たかな…?
心配…してるかな?
そう思っていた自分に気付いて、あたしはフルフルと首を横に振って自分の考えを払拭する。
ダメダメ!
あたしは、司に怒ってたんだから!
あたしの話を聞いてもらう良いチャンスよ!
と、思い直しあたしは、
「とりあえず、一眠りしようかな。仕事はその後で良いよね。」
そう呟いてベッドルームに向い、邸から持って来たマタニティードレスを着て、
なるべくお腹を冷やさないようにしながらベッドに潜り込む。
邸のあたし達の寝室にあるようなキングサイズのベッド。
スプリングもマットレスも高級品で、邸にある物ときっとほとんど変わらない。
なのに、全然違う…。何だか、落ち着かない…。
そう思いながら、何度も寝返りを打っている間に本当に疲れたのか、あたしはそのまま眠ってしまっていた。
あたしの目元に何かが優しく触れる感触で、意識が夢と現実の狭間を行き来する。
あたしはこの手の持ち主を知っている。
世界中のどんな事からも、あたしを護ってくれる人の手。
あたしへの絶対的な愛情を称える、力強い腕。
そして、あたしに安心を与えるその温度…。
あぁ、司の手だ…
まだ覚醒しきらないぼんやりとした頭で、今あたしの顔に触れている手が誰ものなのかを認識していた。
「何やってんだ、馬鹿…。ここで寝てるだけなら、邸と変わんねぇじゃねぇか…」
小さな声で独り言のように、司が呟く。
「無茶しやがって…。俺がどんだけ心配したと思ってんだよ…」
はぁ〜…と溜息を吐いて、司の大きな掌があたしの頬を包み込む。
徐々に覚醒していく頭、段々と現実に連れ戻される。
だけど、あたしは瞼を閉じたまま、司の独り言を聞いていた。
「なぁ、つくし…。お前の言う普通の生活って、どんな生活だよ?ちゃんと言ってくんねぇと、俺だって分かんねぇだろ…」
え?
あたし、今まで言って来なかったかな?
あぁ、言わなかったかも知れない。
言っている…つもりだったのかも知れない…
そうだ、あたしはいつも普通の生活をしたいって主張するだけで、何があたしにとっての普通なのか、司に伝えて来なかった。
司の普通とあたしの普通は大きく違う。
司は司なりに、あたしに普通の生活をさせてくれてたのかも…
それにしたって、タイムテーブルはないでしょ?
自分の辿り着いた答えに苦笑を溢しながら、
「仕事をさせて。司にご飯を作らせて。無理しないから、散歩も好きなだけさせて…」
そう言いながら少しずつ瞼を持ち上げた。
眼を開けた先に見えるのは、苦笑する司の顔。
「起こしちまったか?悪ぃな。で、言いたい事はそれだけか?」
「ううん、もう起きてた。とりあえず、今はね。その時にならないと、何が嫌なのか分かんない…」
あたしの髪を梳きながら、司が溜息を吐く。
「なぁ…。女が妊娠して苦しんでる時、男は何が出来るんだ?
お前だけに辛い思いはさせたくないと思うから、俺なりにやってきたつもりだけど、
それじゃぁダメなんだろ?じゃぁ、どうすれば良い?」
そう言って微笑んだ司の表情の中に、あたしは少し淋しさを見たような気がした。
「悪阻が酷くて飯が作れなくなって行く様子を見てたから、作らなくて良いって言った。
疲れやすくなってるからか、しょっちゅう眠っちまうお前を見てたから、
仕事の時間よりも睡眠の時間を多く取って欲しかったんだ。」
あたしの髪を梳いていた手を止めて、司はその手を自分の髪に差し込み、前髪をかき上げた。
「心配なんだよ、俺がいねぇ間にお前が何してるのか、腹にいる子供達がどんな状態なのかが。
男の俺には全く想像も出来ねぇって事が、不安で仕方ねぇんだよ。情けねぇけど。お前はいつも無理するしな…。
だから、タイムテーブルを作った。お前がタイムテーブル通りに生活してりゃ、俺もお前が何してるか把握出来る。
そしたら、少しは安心出来るからよ。」
でも、それは俺のエゴだな…と呟いて、司は自嘲的に笑った。
何だ、そうだったんだ…
あたしが思っていたよりも、司も不安だったんだね。
あたしの方こそ、自分の事ばっかり…
確かに司が仕事でいない日は、タイムテーブル通りの生活をさせられていたけど、
司が休みの日はあたしの好きにさせてくれていた。
どこかに行きたいと言えば、お医者様まで連れて行くような過保護振りだけど、
それでもあたしの体調を気遣いながら、やりたい事をさせてくれて、行きたい所へ連れて行ってくれた。
でも、それは最初の内だけで、あたしの方が「日頃、司も疲れてるんだから…」って、
やりたい事も行きたい所も言わなくなった。
司はそれをあたしのやりたい事だって、勘違いしちゃったのかも知れないね…。
お互いに相手の事を気遣いすぎて、言いたい事を言わなかった結果がプチ家出=B
いい歳した大人が何やってんだか…。
そう思ったら、何だか可笑しくなってしまった。
クスクスと笑い始めたあたしに、司が訝しげな表情を見せる。
「何笑ってんだよ?人が真面目に考えてるつー時に…」
ムッとしながら、そう言う司。
そんな司に、あたしは笑いながら、
「あたし達、馬鹿だなと思って…」
と呟いてまた笑った。
こんな些細な事で笑えるんじゃん、あたし。
色んな事を頭で考えて、一々気にしすぎだったのかも知れない。
子供達に良くないって事ばかり考えて、あたし自身が楽しんだりする事を忘れてたような気がする。
どんな状況でも楽しみに変えるのが、あたしの良いところだったはずなのに…
「そう…かもな…」
小さく呟いて、司もフッと笑った。
「ねぇ、司。あたしが何してるか分かんなくて心配だって言うなら、タイムテーブル作っても良いよ。
でも、そのタイムテーブル、あたしに作らせて。
ちゃんと、お医者様と相談して決めるから。絶対に無理はしないから。」
ベッドに置いていた司の手に自分の手を重ねながら、あたしはそう言って微笑む。
「あたしの普通はね、少しでも司の役に立ちたい、それだけなの。
ご飯を作る事もそう、仕事をするのもそう、それだけなのよ。
司に特別何かをして欲しいだなんて思ってない。司が司のまま、あたしの傍にいてくれたら、それで良いの。」
あたしが握ったあたしの手よりも1回り大きな手。
ギュッと少しだけ力を入れると、司も握り返してくれる。
そんな些細な事が、あたしに安心を与えてくれる。
そう、これだけで良い…。
「あぁ、でも2つだけ、司にして欲しい事があるかも…」
きっと、これは司にしか出来ない。
他の人にも出来る事かも知れないけど、司が、パパがするから意味がある。
「何だよ?」
不思議そうにそう問いかける司。
これを言ったら、司はどんな顔をするかな?
「何でも良い。あたしにお守りを頂戴。司のハンカチでも良いし、ネクタイでも良い。
いつもあたしが持てる物を頂戴。それから、あたしが赤ちゃんを産んだ日、その日その時の写真を司が撮って。
空と景色の写真を撮って、あたしに見せて。
雨でも雷でも雪でも、どんな天気でも構わない、真っ暗な夜空でも良いから…。
その時の景色をあたしは見れないからさ。」
その時の景色は、その時しか見えないと言う事をあたしは今日知った。
空も景色も、いつも表情を変える。
どう頑張ったって、この子達が産まれる日の景色はあたしにはきっと見えない。
なら、司に後からでも見せてもらえば良い。
この子達は、こんな空の日に産まれたんだって。
その時司は、こんな景色が見える場所にいたんだって。
司がどんな顔をしてるのか知りたくて、ゆっくりと繋いだ手から視線を上げ、司の顔を見ると、
真っ赤な顔をして照れているものだとばっかり思っていたのに、予想に反して司は何かを考えている様な顔をしていた。
と、思ったら、
「それだけで良いんだな?」
とニヤリと笑ってあたしを見る。
「う、うん…。それで良いんだけど…」
と言いながらも、何だか嫌な予感がするのを止められない。
「そか。じゃぁ、帰るぞ。いつまでもここにいる必要もねぇしな。」
そう言ったかと思うと、さっさと帰る仕度を済ませあたしを連れて部屋を後にした。
帰りの車の中、どうしてあたしの居場所が分かったのかと聞いたあたしに、
「お前の運転手に聞いたに決まってんだろ。」
と一言。
あぁ、あたしって、本当に馬鹿だ…
ホテルのフロントに口止めした癖に、肝心の運転手さんに口止めするのを忘れるなんて…
あたしは1つの事を考えると、本当にそれしか見えなくなる人間だと言う事をつくづく思い知った日だった。
後日、司があたしにくれた物は、一通の手紙だった。
『I `m beside you always.
I love you.
Tsukasa』
―俺はいつでもお前の傍にいる
愛してる…
司―
ニヤリと笑った意味は、ここにあったのか…
きっとこれを読んだ時のあたしの顔は真っ赤だっただろう。
恥ずかしくて、何考えてんの?!なんて思わず呟いたあたしだったけど、でも本当はとても嬉しくて…。
司の愛用している物を貰うよりも、手書きの短いこの文章が何よりも嬉しかった。
今は自分で考えたタイムテーブル通りの生活をしていて、
使用人さん達が必要以上にあたしに構う事もなくなり、ほとんどストレスも感じない生活をしている。
今お腹の中にいる子供達に会えるまで、あと少し。
大丈夫、あたしの傍には司がいる。
慣れない土地、N.Y。
そして、初めての出産。
不安な事だらけのはずなのに、あたしの心は安定していた。
『Beside you always』
いつも傍に…