俺がN.Yから戻り、牧野との約束を果たしてから7年。
約束の4年後、牧野を迎えに日本へ戻った俺は、牧野が英徳大を無事に卒業すると同時に結婚した。
結婚して6年。
最高の女を手に入れて、子供にも恵まれ、仕事も順調で全てが順風満帆に行っている。
俺は今、幸せの絶頂にいる…はずなんだ。
なのに…
悲しみの雨にさよならを…
「社長、お車の準備が整いました。」
第一秘書の西田が、オフィスの窓から外を見ていた俺に声を掛けてくる。
「あぁ、分かった。悪いが、スケジュール調整、頼んだぞ。」
俺のデスクの前に立ったままの西田の肩をポンと叩くと、ジャケットを手に持ちオフィスを後にする。
「畏まりました。お気を付けて。」
俺の突然の行動にも慣れた様に、一礼し決まった台詞を西田は呟く。
悪ぃな、西田。
でも、どうしてもこんな日は…。
ロビーから迎えの車に乗り込み、窓を勢いよく叩く雨を見ながら心の中で呟く。
俺は雨が嫌いだ。
いつまで経っても、勢いよく窓を叩く様な雨が降る日は、胸が締め付けられて苦しくなっちまう。
だけど、こんな俺以上に苦しんで人知れず涙しているのは、世界で唯1人の俺の最愛の女。
そして、そんなアイツの痛みを理解し慰めてやれるのは、世界で唯1人…この俺だけだ。
こんな雨が降る夜は、決まってアイツは子供達をタマに預け、1人で部屋に篭っている。
雨の音を聞かない様に、なるべく思い出さない様に、音楽をかけ頭から布団を被って小さくなっているんだ。
きっと、今夜もそうやって俺の帰りを待っているんだろう。
雨が降っている日は、いつも出来る限り早く仕事を終え帰宅している俺も、
あの別れ日を思い出させる様な強い雨の日だけは、残りの仕事を後日に回し、その足で帰宅する。
アイツが心配だからだけじゃない。
俺が不安だからだ…。
天下の道明寺 司様が情けねぇ…と自分でも思うが、この雨があの日を思い出させる限り、きっとこの不安は消えない。
この6年、誰よりも近くでアイツの存在を感じて来た。
どんな事をしてでも手に入れたかった女。
死ぬ程辛い思いをして、やっと手に入れた女。
そんなアイツの存在が、俺の傍から消えるなんて考えるだけでも狂っちまいそうだ。
アイツが傍にいない間、自分がどうやって生活してたのかなんて、今は思い出す事すら難しい。
きっと俺は、もうアイツ無しで生きてはいけない。
そんな事を窓の外の雨を見ながらぼんやり考えていると、車が邸のエントランスでゆっくり停車した。
運転手がドアを開けるのも待たずに、俺は自分でドアを開け邸へと入って行く。
1分でも1秒でも早く、アイツをこの手で抱き締めたい。
抱き締めて、この不安を消してしまいたい。
そんな思いが俺を急かす。
邸に入った俺に、使用人の列が「お帰りなさいませ、旦那様。」と頭を下げているが、今はそれに返事を返す余裕もない。
使用人の列の真ん中で、タマと俺達の息子達が出迎えていた。
いつもなら、ここにアイツもいるんだが…。
やっぱ、今日はいない…か。
そんな事を考えている俺の足に、ドンッと勢い良く突進して来た子供達。
「「パパぁ〜、お帰りなさい!」」
そう言って、俺の足にしがみ付いて来る。
漆黒の髪が真っ直ぐに伸びている男の子と、緩いウェーブのかかった男の子。
2人共、顔立ちは昔の俺によく似ている。
来年6歳になる、俺達の双子の息子達だ。
「ただいま、修(しゅう)、陵(りょう)。」
そう言って笑顔を浮かべると、足にしがみ付いていた息子達は「「パパ、抱っこ!」」とせがんで来る。
俺は2人を抱き上げタマの元まで行くと、一番聞きたかった事を口にする。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん。」
「あぁ、ただいま。つくしは…?」
俺の問いに、悲しそうに笑うタマ。
部屋にいるんだな…
「修、陵。後で遊んでやるから、もう少しタマと遊んでてくれるか?」
俺がそう言うと、2人は顔をキラキラと輝かせて言う。
「本当?パパが遊んでくれるの?」と、期待した目で俺を見上げる修。
「やったぜ!パパ、早く来てね!」と、ガッツポーズして笑顔を向ける陵。
2人はそう言ったかと思うと、邸の長い廊下でかけっこしながら奥へと消えて行った。
「タマ、悪ぃが、あいつ等の事、暫く頼んだぜ。」
子供達が邸の奥へ消えたのを見届けた後、俺はタマを振り返らずに、俺達の寝室へと向かった。
ガチャッ…
寝室の扉を開くと同時に聞こえて来る、決まった音楽。
俺はいつもの様に、つくしがいるだろうベッドへと急ぐ。
部屋の灯りを落とした薄暗い部屋のベッドに、いつもなら布団の中で丸くなっているはずのつくしが、何故か今日は見当たらない。
「つくし?」
俺が声を掛けても、返事は返って来ない。
嫌な汗が背中を伝い、サァッと血の気が引いていく。
どう言う事だ…?
こんな雨の日に、俺が帰るまでつくしが部屋から出た事なんて今まで一度もない。
なのに、今日に限っていないなんて…。
嫌な予感が頭を過ぎる。
否応無く思い出される、あの雨の日の別れ。
『もし、あんたを好きだったら、こんなふうに出て行かない。…さよなら』
あの日、最後に聞いた「牧野」の言葉がガンガンと頭の中で鳴り響く。
俺は寝室を飛び出し、その辺にいた使用人に怒鳴った。
「つくしはどこに行った?!誰か知ってる奴、いねぇのか?!」
俺の声に、慌てて駆け寄って来る他の使用人達。
だが、誰一人としてつくしの居場所を知っている奴はいないようだ。
つくしに付けているSP達がここにいると言う事は、つくしは敷地内にいるはずだ。
元々、俺にはつくしが何を考えているのか理解出来ない時が時々あるが、それにしたって今回はおかしい。
俺がいない間に、マジで何かあったのかも知んねぇ…
その上、こんな雨の日のアイツの精神状態は酷く不安定になる。
普通の状態じゃないアイツを、いつまでも1人にしておく訳にはいかねぇんだ。
俺の中に渦巻く不安が一気に勢いを増し、気を抜くとその渦に巻き込まれそうになる。
「ボサッとしてねぇで、さっさと探し出せ!敷地内を隅から隅まで探すんだ!見つけたら、すぐに俺に知らせろ!」
俺はその場にいた全員にそう怒鳴ると、つくしがよく行く場所を手当たり次第に探し始める。
俺の書斎、子供部屋、シアタールーム、地下にある図書室…
順々に見て回り、庭にある温室を見に行った時だった。
邸の柵の前、俺と「牧野」が別れた場所に誰かいるのが見えた。
見つけたっ!!
人影が誰のものかはっきりとは見えなかったが、俺の勘があれはつくしだと告げる。
どうして、今更あんな場所に…
つくしに何があったのかは知らねぇが、俺の嫌な予感は益々膨れ上がる。
早くつくしの元へ行きてぇのに、なかなかつくしに近付く事が出来ない。
やっとの思いで邸の門を潜り、今度は柵沿いにつくしの元へと急ぐ。
白のワンピースに、背中まである漆黒の髪。間違いない。
「つくしっ!」
俺が名前を呼ぶと、俺に背を向けた格好で立っていたつくしは、ゆっくりと振り返った。
そんなつくしの姿に俺はギョッとする。
「何やってんだよ、お前、こんな雨ん中!」
自分で言った台詞に、昔見た光景がリンクする。
止めろ…思い出させるんじゃねぇ…
頭は必死に抵抗しているのに、身体は別の動きをする。
「しかも、びしょ濡れじゃねぇか!」
冷たくなったつくしの身体を抱き締めようと伸ばした俺の手を、つくしは拒絶した。
ドクンッ
つくしのその行動までが、あの日と同じで、俺の鼓動が早くなる。
止めろ…これ以上、あの日と同じものを俺に見せるな…
「な…んのつもりだよ…?」
ドクンッ ドクンッ
俺の意思とは関係なしに低くなる声。
その問いに、申し訳なさそうな、悲しそうな顔をするつくし。
止めろ!止めろ!止めろ!
俺をそんな目で見るんじゃねぇ!
「司…ごめんね…」
ドクンッ ドクンッ ドクンッ
小さく震える声でそう言ったつくしの目には、涙が浮かんでいる。
お前はまた、そうやって俺を置き去りにするのか…?
今度は、俺だけじゃねぇ…
子供達だって居るんだぞ?!
それでもお前は、また俺の手からすり抜けて行くって言うのかよ…
「今まで、いっぱい辛い思いさせて、ごめんね…」
ドクンッ ドクンッ ドクンッ ドクンッ
辛い思いなんてしてねぇよ!
お前の為にして来た事で、辛いなんて感じた事は1つもねぇんだよ!
そう言いたいのに…
そう言って、俺の目の前で涙を流す愛しい女を怒鳴りつけてやりたいのに、声が出ない。
「いつも守ってくれて、ありがとう…。…道明寺、好きだよ。」
ドックンッ
一瞬、心臓が止まるかと思った。
つくしが、何を言っているのか分からない。
「あの時ね、本当はそう伝えたかったの。本当は、何度も何度も1人の男として道明寺が好きだと思ってたって、そう言いたかったの…」
そう言って薄っすらと微笑むつくし…いや、牧野。
少しの間、俺達は高校時代へと遡っていた。
俺の目の前にいるのは、英徳の制服を着た今よりも活発な少女時代のつくし。
きっと、つくしの目には18歳のガキだった頃の俺が映っているのだろう。
一瞬、つくしの目が懐かしそうに細められた様な気がした。
「修と陵に言われちゃった。ママはいつも雨の日、悲しそうな顔してるって…。笑わなきゃダメだよって。
笑わないと、神様が幸せを連れて来てくれないんだよって…。
あたしね、幸せになりたいの。
もっともっと、司と一緒に、修や陵と一緒に幸せになりたいの。
だから、笑わなきゃと思って…。でも、雨の日は、あたしも司も笑えないから…。
だから、乗り越えたかったの、司と一緒に…」
雨に濡れて、泣きながら微笑むつくしは、今まで見てきたどんな女よりも綺麗で、そして家族の幸せを心から願う優しい母親の顔だった。
「悲しい雨の日を、終わらせたかったの…。司と一緒に…。もう二度と離れたりしない。一緒に幸せになって。…司、愛してるよ。」
俺はつくしの言葉を聞き終わるや否や、力いっぱいつくしの細い身体を抱き締めた。
「愛してる…。俺もお前を愛してる。ありがとな…」
お前は、本当に良い女だな…
どこまで俺を惚れさせりゃ気が済むんだよ…
好きだけじゃ全く足りない。愛してるじゃ伝えきれない。
それ程お前を想う俺の気持ちを、どうすればお前に伝えられる?
俺に抱きついていたつくしをゆっくりと離し、雨と涙に濡れた頬に手を添える。
その俺の手に手を重ねたつくしは、にっこりと穏やかに微笑み、輝く大きな瞳を閉じた。
ゆっくり重ねるお互いの口唇。
あぁ、そうだ。
言葉に出来ない想いは、こうするだけで簡単に伝わるんだ。
雨の日のキスはいつも、どこか悲しくて切なかった。
淋しさを埋める様にキスをし、身体を重ねた雨の日。
それも今日で終わった。
これからは、愛しさを伝える為だけにキスをし、愛し合おう。
お前に教えてやる。俺がどれだけお前に惚れてるかって事を…
そんな想いを込めて、深い深いキスをした。
その後、邸に戻った俺達はタマにバスへと押し込まれ、
俺とつくしが2人でバスに入る事を知った修と陵が、
「パパだけママと入るなんてズルいっ!」と喚き、結局4人で入る事になった。
バスから上がった後は4人で夕食を取り、約束通り俺は修と陵が寝る時間になるまで遊んでやった。
きっと、これからは、今日みたいな雨が降っても今までの様に早く帰る事もないだろう。
時々は早く帰るから、それで許してくれよな。
暫く遊んでやれなくなるだろう子供達に付き合いながら、俺は今日後回しにした仕事の事を考え苦笑した。
その夜、子供達が眠った後、当然の様に愛し合った俺達の間に、新しい命が宿った事を知ったのは、今日の様に雨が強い日だった。
Fin.