滅多に出さないこの甘えた声に、つくしが弱い事を俺は今までの経験から知っている。
だから、ここぞと言う時にしか使わない。
案の定、つくしはその声に顔を少し赤らめて、
「今日だけなんだからね…。司が病気だから仕方なく…なんだからね?」
と、念押ししてレンゲを手に取った。
レンゲに掬ったまだ湯気の立つ粥を、冷ます為につくしがふぅふぅと息をかける。
そしてパクッと…自分の口に放り込みやがった。
「………おめぇが食ってどうすんだよ。それは、俺のじゃなかったのか?」
つくしからレンゲを差し出されるのを、今か今かと待っていた俺。
そんな俺の目の前で、自分の口に無意識に粥を放り込んでしまったつくしは、
「ご、ごめん。つい、癖で…」
と苦笑している。
ったく、すっげぇ楽しみにしてた俺が馬鹿みたいじゃねぇかよ…
もう一度、粥をレンゲに掬いふぅふぅと冷ました後、今度はちゃんと俺の口元に運ばれる。
「はい、あ〜ん…」
そう言ってしまってから、つくしの顔が徐々に赤く染まり出す。
「ご、ごめん。修や陵に、いつもそう言って食べさせてるから…」
レンゲを俺の口元に差し出したまま、赤い顔を俺に見られないようにそう言って俯くつくし。
やべぇ…
コイツ、可愛すぎだろ…
ニヤケそうになる顔を必死で押し隠しながら、差し出されたレンゲにパクついた。
俺が粥を食べた事に気付いたつくしは、まだ少し赤い顔を上げ、
「美味しい?」
と上目遣いに聞いて来る。
だから、その顔やべぇって…
俺は病人なんだっつーの…
無意識に俺を挑発してくるつくしに、軽い眩暈を覚えながらも、
「美味いよ、サンキューな。」
と返した。
「良かった。食べれるだけで良いから、食べてね。で、お薬飲んだらもう少し休んで。
司が休んでる間、あたし少し仕事して来るよ。」
挑発するだけ挑発して、そんなつもりはないと言わんばかりのつくしの態度に俺は一気に脱力してしまう。
「こんな状態の俺を放って置いて仕事なんてしてんじゃねぇよ。お前は俺と一緒に寝るんだよ。」
つくしに粥を食べさせて貰いながら俺がそう言うと、
「どうしてあたしまで司と一緒に寝なきゃなんないのよ…。あたしにはまだ、仕事が残ってるんだからね?」
そう文句を言いながら、また粥に息を吹きかけて冷まし始める。
「お袋に今日は俺の看病してくれって頼まれてんだろ?じゃぁ、仕事なんかしてねぇで俺に付き添えよ。」
最後の一口を食べ終わった俺は、「ご馳走さん、美味かった。」とつくしに言うと、
つくしは何故か懐かしそうに眼を細めて俺を見た。
「んだよ?」
「ううん。何か、新婚の頃に戻ったような気がしてさ…」
そう言って照れたようにはにかむ。
意味が分からず、頭の上に?を飛ばす俺に、
「司は気付いてなかったかも知れないけど、修と陵が産まれてからはずっとご馳走様≠チて言ってたのよ。
でも、今ご馳走さん≠チて言ったでしょ?新婚の時以来、聞いてなかったから何か嬉しくなっちゃって…」
と言ってつくしが微笑む。
全く意識なんてしてなかったけど、そう言われるとそうかも知れない。
子供が産まれてからは、こうして2人きりになる時間なんてもの少なくなって、
父親として…って思いの方が強くなっちまってたから、付き合ってた頃や新婚の頃のように男と女として見るよりも、
そんなつもりはなくてもお互い修と陵の父親や母親として見ている時間の方が長くなっていたのかも知れない。
「熱で辛い思いしてる司に悪いなって思ったんだけど、あたし、ちょっと嬉しかったんだ。
久し振りじゃない、こうして2人きりになれるのなんて。何だか、新婚の頃に戻れたみたいでさ。」
そう言って本当に嬉しそうに笑うつくしの表情は、
あの頃よりも大人びて女の色香をどことなく漂わせてはいるものの、あの頃と比べてもほとんど何も変わっていない。
そして俺は、そんなつくしを目の当たりにする度に思う。
やっぱりコイツは、一生俺にとって唯一の女だと…。
修や陵の母親になっても俺にとってつくしは女で、いつまでもそう思い続けたいと願う。
少女の頃のつくしは類達も知っている。
仕事をしているキャリアウーマンのつくしは、会社の連中が知っている。
母親としてのつくしは、修や陵が知っている。
だけど、女としてのつくしを知るのは、この世界で俺ただ1人…。
それだけの事実が、俺の胸をこんなにも熱くさせるなんて事を、コイツは知っているんだろうか…。
なぁ、つくし…
これから先に何があっても、女としての顔を見せるのは俺だけにしろよ。
俺がお前の事を子供達の前でも名前で呼ぶのは、お前を母親として見るつもりなんてこれっぽっちもねぇからだ。
修と陵の母親だっつーのは百も承知だけど、俺にとってお前は最初で最後の女なんだよ。
だから、か弱い女としての部分も、甘えてくる女らしい姿も、この世で知って良いのは俺だけだって事、お前もちゃんと覚えてろよ。
じゃなきゃ、許さねぇからな!
狂おしい程に愛しくて、時々暴走しそうになる俺の想い。
そんな俺の想いをコントロールして、そして受け止めてくれるのも、やっぱりお前しかいねぇんだ。
「愛してる…」
用意した卵粥を全部食べ切り薬も飲み終わった司が、唐突にそう言いあたしを抱き締めた。
「戻ろうぜ、今日位、新婚の頃によ。修や陵が帰って来るまで、どうせ俺達2人きりなんだし。
俺もお前も、修や陵の父親でも母親でもなく、結婚したばっかの夫婦って事にしようぜ。」
そう言ってあたしの首筋に顔を埋める司。
「俺にとってお前はいつも女だけど、無意識の内に母親として見てたところがあるのかも知んねぇ。
別に悪ぃ事じゃねぇけど、でも俺はいつまでもお前を女として見ていたい。」
「司…」
意外な司の言葉に驚くと同時に、凄く嬉しい言葉だった。
結婚して子供が産まれれば、夫が自分の事を女として見てくれなくなると言うのはよく聞く話。
だけど、司は修や陵の母親としてではなく、1人の女としていつまでも見ていたいと言ってくれた。
「あたしだって同じだよ。いつまでも、司に恋していたい…。修や陵の父親じゃなくて、男としての司を見ていたい。」
そう言って抱き締めてくれる司の背中に自分の腕を回した。
「じゃぁ、決まりだな。仕事は放って置いて、俺と一緒に寝ようぜ。」
抱き締めていた身体を離し、そうニヤリと笑った司は絶対確信犯だ。
「え、ちょ、ちょっと!それとこれとは別でしょ?第一、一緒になんて寝たら風邪がうつるじゃないの!」
「風邪は空気感染だ。うつるんなら、お前がこの部屋に入って来た時にはもう既にうつってるよ、諦めろ。
お前が風邪ひいたら、俺が責任もって看病してやるさ。」
そう言って司は少年のような笑顔で笑う。
あぁ、もう完全にあたしの負けだ…
こんなにも司に惚れてしまったあたしを、時々どうして良いのか分からなくなる。
付き合っていた頃に素直に甘えられなかった反動か、今は司に甘えたくて仕方ない時がある。
そんな時は何も言わずにあたしを甘やかしてくれる司。
そんな司に、あたしは性懲りもなく未だに溺れ続けてる。
「じゃぁ、あたしが風邪をひいたら、司がお粥食べさせてね。」
そう言って司の横に滑り込むと、
「おう、任せろ。お前が嫌だっつっても俺が食べさせてやるからよ。」
そう言ってあたしの頬にキスをした。
「一応風邪ひいてるからな。今日はここで許してやるよ。」
「さっき、空気感染だって自分で言った癖に…」
そう言ってあたしが笑うと、「んな事言って、俺が止まんなくなっても知んねぇぞ?」なんて言うから、
「ば、馬鹿!熱あるんでしょ?良いからさっさと寝なさいよ!お休み、あたし寝るからね!」
赤くなった顔を隠すようにブランケットの中に潜り込んだ。
「冗談だよ、ったく…。無意識に煽るその癖、何とかしろよ…」
とブツブツ文句を言いながらも、ギュッとあたしを抱き締めてくれる。
さっき飲んだ薬は即効性のものだったのか、あたしを抱き締めて横になった司は、
「やっぱ少し疲れてるみたいだな。少し寝るわ、俺。お休み、お前も寝ろよ。」
眠そうな声でそう良いながら、あたしの背中をポンポンと叩く。
「うん、お休み。」
一言そう言って、あたしも眼を閉じた。
ねぇ、司。
たまには病気も良いもんだね。
時々でもこうして、新婚時代の2人に戻れるなら病気も悪くないかな?なんて思っちゃうよ。
アンタが病気で苦しんでる時は、いつもあたしが傍で看病してあげるから、安心してね。
嫌な夢を見た時だって、いつでもあたしが連れ戻してあげる。
だから、ねぇ…
ずっと、あたしにアンタを見させてね。
アンタの弱い部分も、弱ってる時の姿も、そんな姿を知っているのは世界中であたし1人だけにしていてね。
どんな姿の司だって、受け止めて愛してあげるから。
『Sweet time that sickness brings.』
それは、病気が連れて来てくれた甘い時間。