ガチャッ…
微笑んだとほぼ同時に聞こえた部屋のドアの開く音。
ん?ガチャッ?
部屋の扉が開く様な音が、携帯を当てた反対の耳から聞こえた。
こんな時間に、しかもノックもなしに人が来るなんて有り得ない。
誰?と眉間に皴を寄せて振り返ると…
「俺も…愛してる。」
両耳に響く優しくて愛おしい人の声。
会いたくて、会いたくて、この1年半の間ずっと自分の気持ちを押し殺してきた。
ついさっき、会いたいと言ったばかりなのに…
あたしが会いたいと切に願っていた男が、今、あたしの目の前で優しく笑っていた。
「な…んで…?」
あたしが声を発したのと同時に、あたしの手の中から携帯がポトリと落ちた。
それが合図の様に、司はあたしに向って一歩一歩ゆっくりと近付いて来る。
「約束の4年まで、まだちっと早ぇけどお前を迎えに来たんだよ。」
そう言ってあたしが落とした携帯を拾い上げてくれる良い男。
拾い上げた携帯をテーブルに置き、自分は優雅な仕草でソファーに腰掛け、その隣をポンポンと叩いて座れと促す。
あたしは司に言われるまま、ソファーに腰掛け、混乱する頭で必死に今の状況を整理する。
ちょっと待って…。
迎えに来たってどう言う事よ?
だって約束の4年まで、まだ後半年もあるんだよ?
って言うか、いつ日本に戻ったのよ?
まだ驚いたまま司の顔をじっと見ているあたしに、司は優しく微笑みかけてポンポンと頭を叩いて話し始めた。
「俺達、この1年半全く会えなかっただろ?その理由が、1年半前に始まったプロジェクトの所為だっつーのは、お前も知ってるよな?」
司の問い掛けに、あたしは頷く事しか出来ない。
あたしが軽く頷いたのを確認すると、司はまた話し始める。
「そのプロジェクトが始まってすぐ位だったかな。ババァが俺のオフィスまで来て言ったんだ。
このプロジェクトが無事に終わったら、お前を迎えに行っても良いって。きっと、お前も待ってるだろうからってさ。
その代わり、終わるまでの間は今までの様に会う時間は取れないと思いなさいだとよ。
だから俺頑張ったんだぜ?それまでは2・3ヶ月に1回でも定期的に会えてたのにさ、急に会えなくなるっつ−んだからよ。
何としてでも約束の4年目までに迎えに行ってやるって思って、2年がかりのプロジェクトを1年半で終わらせてやったっつー訳だ。
んで、ババァとの約束通り、お前を迎えに来た。」
司はそうあたしに説明すると、
「ずっと、お前に会いたかった。」
あたしの首筋に顔を埋め、くぐもった声でそう呟いた。
1年半振りに感じる司の温もり、胸の広さ、鼓動の音…。
その全てが、あたしの淋しさを消していく。
もっと司の存在を感じたくて、今あたしの居る場所が司の腕の中だと言う事をもっと感じたくて、あたしは震える腕を司の背に回した。
司の背に腕を回し、ギュッとしがみ付いた途端に近くなる司との距離。
今やっと、約1万1000kmの距離を越えてお互いを感じる事が出来た幸せ。
その想いは、あたしの瞳から溢れ出した。
「お帰り…。お帰り、司…。待ってたんだよ、ずっと…。あたしも…会いたかった…」
あたしが涙声で言うと、司はもう1度ギュッとあたしを抱き締めた後、あたしの方を抱いて胸から離した。
胸から離された一抹の淋しさを抱きながら、あたしは司の顔を見上げる。
そこには、司の優しさを湛えた瞳があたしを見下ろしていた。
「愛してる。」
司の瞳がそう言ってくれている様な気がして、あたしは涙を流したまま、
「あたしも愛してる。」
その想いを込めて、微笑んだ。
ゆっくりあたしの口唇に下りてくる司の口唇。
1年半振りに触れる司の口唇は、あたしの嬉し涙の味がした。
その後は、当然の成り行きの様にあたし達はお互いを求め、ベッドへと縺れ込んだ。
あたしは司の腕に抱かれながら、ベッドから見える大きな窓の外に視線を移す。
外はまだ降り止まぬ雨。
恋人達が1年に1度だけ会える特別な日は、雨のまま終わってしまった。
そんな事を考えていたあたしは、暗い顔をしていたのだろうか…
あたしの頭の上から、少しムッとした様な司の声が降ってきた。
「何でそんな辛気臭ぇ顔してんだよ?」
「う…ん、あたし達はこうして七夕に会う事が出来たけど、織姫様と彦星様は会えなかったんだなって思ったら、何だか悲しくて…」
そう言ったあたしの声は、自分でもびっくりする位、弱弱しかった。
司があたしの前に現れるまで、織姫様だけでも彦星様に会えたら良いなって思ってたからかな。
何だか、あたしだけが幸せみたいで、少し複雑だ…。
「くだらねぇ…」
軽く溜息を吐きながら、司が然もつまらないと言う様に呟く。
あんたに今のあたしの気持ちを分かって欲しいとか、そんな事思ってた訳じゃないけど、でも、そんな風に言わなくても良いんじゃない?
「んな顔すんな…。俺はお前の考え方がくだらねぇって言ったんだ。」
あたし、ショック受けた様な顔してたのかな?
司が苦笑しながらあたしを見て、優しく髪を撫でる。
「ここから見える空だけが全部じゃねぇんだぞ?この雨雲の上にだって空は続いてる。
この雲の上は、どんな時だって晴れてんだよ。だから、お前の言う織姫って奴はちゃんと恋人に会えてるさ。俺達みたいにな。」
そう言ってあたしの額にキスをする司。
そうか…。
ここが雨でも、織姫様達がいる場所は晴れてるんだ…。
何だ、そうなんだ。
司から返って来た意外な答えに、さっきまで沈んでいたあたしの気持ちが浮上していくのが分かる。
「もしかするとさ…」
ふいに司が思い立ったように呟いた。
「もしかすると?」
あたしが司の顔を見上げながら聞き返すと、司はニヤリと笑った。
ん?ニヤリ??
「あいつ等は、わざと雨を降らせてんのかも知んねぇぜ?」
「わざと?何で??」
司の答えの意味が分からなくて、頭の上に?を飛ばしているあたし。
「2人の時間を、他の誰にも邪魔されたくねぇからに決まってんだろ?」
そう言ってにっこり笑ったかと思うと、
「まぁ、あっちはあっちで宜しくやってるんだしよ、俺達も宜しくしようぜ!」
と、司があたしに覆いかぶさって来た。
「もうっ、ちょっと、何なのよ!今、あんたにしては良い事言うじゃないって感心してたのにっ!!」
ちょっとだけ、司の言葉に感動したあたしが馬鹿だった!
自分の良い様に解釈しただけじゃないの!
だけど、司が言う様に考えれば、織姫様と彦星様もあたし達みたいに幸せな時間を過ごしていたのかも知れない。
だったらあたし達も、今まで我慢してきた分、もっと幸せな時間を過ごしても良いよね?
あたしはそう考えて、クスッと笑って司の首に腕を回して囁いた。
「西門さん達に見せ付ける前に、織姫様達に見せ付けないとね。あたしと司は愛し合ってるって事。」
司は一瞬、あたしの言葉に驚いた顔をしたけど、すぐに優しい笑みを浮かべて、
「そうだな。何せ、俺達の絆は半端じゃねぇから。」
そう言ってキスを落とす。
あの雨の日の別れの時の様な激しい雨は、もしかしたら織姫様達が愛し合っている事の裏返しだったのかも知れない。
だってほら、8日になった今は、さっきまで降っていた激しい雨が嘘の様に、外は静かになってきている。
織姫様と彦星様は年に1回しか会えないけれど、あたしと司はこれから始まる。
『愛しい人に会えますように…』
あたしが織姫様の願いと共に書いた願い事は、見事に叶う結果となった七夕の日。
来年の願い事は、きっとこう書くだろう。
『愛しい人とずっと一緒にいられます様に…』って。
Fin.