夢を見ていた気がする…。
幸せな温かい夢を…。
ゆっくりと瞼を開くと、そこには今朝見たホテルの天井と同じ位豪華な天井が広がっていた。
あれ…
あたし、どうしたんだっけ…
寝起きの働かない頭でゆっくりと自分の置かれている状況を確認する。
えっと、朝起きた時にはパリにいて、そこに連れて来たのは道明寺で…
松山さんと旧市街地の散策してて…
って!
あたし、見ず知らずの女の人に拉致されたんじゃん!
暢気に寝てる場合じゃないってばっ!
要約その事に気付いたあたしは、慌ててベッドから飛び起きる。
ガバッと音がしそうな位の勢いで飛び起きて、自分の今の姿にギョッとした。
誰が着替えさせたのかは知らないが、今あたしが着ているナイトドレスだろう黒のワンピースは、
下着が透けるんじゃないかとハラハラする程薄い布で作られたものだった。
慌てて回りにさっきまで着ていた服がないか確かめるけど、当然の事ながらそれは見つからなかった。
服を探す事は諦めて、とりあえず上に羽織れるものがないか探す為に寝室を出る。
今回はちょっと慎重に…。
朝から寝室から出たところで、ドッキリに2回も遭っていれば、いい加減学習もする。
そっと寝室のドアを開けると、そこに広がるのは道明寺邸の様な部屋。
恐る恐る寝室を出たところで、突然、部屋のドアをノックする音が聞こえて来た。
コンコンッ
ここがどこだかも分からずにビクビクしていたあたしは、
突然のノックの音に飛び上がらんばかりに驚き、思わずビクリッと身体を硬直させてしまった。
「失礼します。」
そう言って入ってきたのは使用人の格好をした女の人。
「お目覚めですか、牧野様。」
にこやかに話しかけてきてくれる、30代位の優しそうな女性。
「は、はぁ…。あ、あの…ここは…?」
とりあえず、そうは聞いてみたけど、本当は聞きたい事なんて山ほどある。
あたしの名前を、どうして知ってるの?
どうして、あたしは今ここにいるの?
ここは一体どこ?
何で、あたしがこんな格好させられてるの?
ってか、こんな格好にしたのは誰?!
沢山の?があたしの頭の中をグルグルと回る。
「ふふふっ。そんなに沢山質問されたら、何から答えようか迷ってしまいますよ。」
そう言って笑う、使用人の方。
今日、何回目?
また喋ってたよ、あたし…
もうこの癖は一生治らないかも知れない…
「ご、ごめんなさい。あたし、口に出してたの気付かなくて…。
それより、本当にここはどこですか?あたし、どうしてここに連れて来られたんでしょうか?」
まだクスクス笑っている使用人の方に、気を取り直してもう一度聞いてみる。
すると、返って来たのは、
「申し訳ございません、牧野様。私からは何とも言えないんです。
それについては、旦那様からお話があるかと思いますので。
それと、牧野様のそのドレスを用意したのは旦那様です。着替えさせて頂いたのは、私達使用人の者ですけども。」
と言う意外な答え。
「あ、あの。その旦那様って、一体…」
何だか聞くのが怖い。
だけどこれは人間の性なんだろうか。
怖いもの見たさ、もとい聞きたさでついつい聞き返してしまった。
「申し訳ございません。そちらもお答えする訳にはまいりません。これも旦那様からの命令ですので…」
そう言って苦笑する使用人さん。
「はぁ、そう…ですか…」
そう言ったあたしは不安そうな顔をしていたんだろうか。
使用人さんが慌てて、
「あ、でも身分の確かな方ですし、牧野様に危害を加えたりと言う事は…」
と付け加える。
その使用人さんの慌て振りが何だか可笑しくて、あたしはここに来て初めて笑った。
あたしが笑った事にほっとしたのか、使用人さんは安堵したような表情を浮かべて、
「では、牧野様。こちらにご用意しておりますお洋服をお召しになって下さい。
旦那様が昼食をご一緒にと仰られて、ダイニングでお待ちですので。」
とあたしに洋服を手渡した。
それは道明寺があたしに用意してくれていた、
フランスの民族衣装っぽい可憐なワンピースとは対照的な、大人っぽいシックなワンピースだった。
「お手伝い致しますので、こちらへどうぞ。」
そう言って下さった使用人さんに、あたしは慌てて、
「い、いえ、結構です。自分で出来ますから…。着替えたら声掛けるので、ここで待っててもらえますか?」
と言うだけ言って、寝室へと駆け込んだ。
着替えを手伝ってもらうなんて、冗談じゃない!
道明寺じゃないんだから…
……。
道明寺、きっと心配してるよね…?
松山さんが連絡してるだろうし…
って、そう言えば松山さんは?!
今の今まで、あたしの観光に付き合ってくれていた松山さんの存在を忘れていたあたし。
思い出した途端、物凄い勢いで手渡された服に着替え、使用人さんの元へと戻った。
「あ、あの!あたし、松山さんって言う女の人とパリの旧市街地を観光していたんですけど、その女性は無事なんでしょうか…?」
興奮して一気に捲くし立てるあたしを驚いた顔で凝視する使用人さん。
その顔を見ているうちに、何だか最後の方は弱弱しい声になってしまった。
あたしの言葉が途切れた途端、使用人さんの驚いた顔がにっこり微笑む。
「えぇ、松山様もこちらにいらっしゃいますよ。旦那様とご一緒にダイニングでお待ちです。」
よ、良かった…
松山さんも無事なんだね…
それを聞いて安堵の溜息があたしの口から零れた。
使用人さんに連れられて向うダイニングまでの道のりはあたしがいた部屋同様、
日本の道明寺邸の雰囲気をどことなく漂わせたものだった。
だけどこの時のあたしは、
お金持ちの家って、どうしてどこもこんなに広いの?
と言う程度の事しか頭になく、これから会う旦那様≠ニ言う人が一体誰なのかなんて考える事もしなかった。
ダイニングの前に着き、使用人さんが軽くドアをノックする。
「牧野様をお連れ致しました。」
そう言って開けられたドアの先にいたのは…
ど、道明寺?!
と思ったが、明らかに雰囲気が違う。
道明寺程刺々しいオーラはなく、どちらかと言うと穏やかな気さえする。
ダイニングテーブルの席に着き、こちらににこやかな笑顔を向けているのは、道明寺によく似た初老の紳士。
「やぁ、牧野さん。どうぞ、こっちへ来て座ってくれたまえ。」
にこにことそう言う初老の紳士。
言われるままに使用人さんが引いてくれた席に着くと、
「まず、自己紹介をさせてもらおう。
初めまして、道明寺 敬(けい)と言います。
司の父親と言った方が良いかな。牧野 つくしさん。」
と何故か嬉しそうに言われてしまった。
こ、この人が、ラオウ?!
ダイニングに着いた時から、もしかしてとは思っていたけど、まさか本当にこの人がラオウだったとは…。
「は、初めまして、牧野 つくしです。」
席についたままの態勢で、道明寺のお父さん・ラオウに頭を下げる。
「さっきは手荒な事をしてしまって、申し訳なかったね。牧野さんは元気が良い人だと聞いていたから…」
苦笑しながら、そう話すラオウ。
ゲッ…
道明寺の奴、あたしの事なんて話してんのよ?!
ラオウの言葉に恥ずかしさで顔を真っ赤に染めてしまうあたし。
そんなあたしを見て、ラオウは笑った。
「今日、ここに君に来てもらったのは、唯、私が君に会いたかったからなんだ。」
「は?それは、どう言う…」
どうしてラオウが、あたしに会いたいなんて言うのか分からない。
しかも、会いたいからってどうしてそれがイコール拉致って事になっちゃうの?!
「今までの事は全て楓や椿から聞いて知っているよ。
まず、楓が君達にした酷い仕打ちについて、楓の代わりに謝らせて欲しい。
私も、楓が君達に何をしているのか知っていたんだが、自分の体調の事もあって仕事に掛かりきりになっていた。
見てみぬ振りをしていた私も、当時君達に相当な事をした楓も本当に申し訳なかったと思ってる。この通りだ…」
ラオウはそう言って、テーブルに額がくっ付くんじゃないかと思う程、頭を下げた。
し、信じられない…
道明寺のお父さんって事は、道明寺財閥の総帥って事でしょ?!
そんな人が、あたしに頭を下げてる?!
ラオウの突然の信じられない行動に、あたしは驚きを隠す事が出来ずに頭を下げたままのラオウを凝視してしまった。
「あ、頭を上げて下さい!それはもう過ぎた事です。あたしは、何も気にしていませんから…」
慌ててラオウにそう言うあたし。
だけどラオウは一向に顔を上げようとせず、そのままの状態で、
「いや、私の気が済むまでこうさせてくれ!」
と言う。
あぁ、そんなとんでもないっ!
この世界のどこに道明寺財閥の総帥に頭を下げられて平然としていられる人がいると言うの?!
居たら、是非お目にかかりたいよぉ〜…
何とか頭を上げてもらいたいあたしは、
「そ、それじゃぁ、あたしが困ります!
道明寺総帥ともあろう人が、こんな小娘に頭を下げるなんて…。
お願いします、頭を上げて下さい。上げてくれるなら、何でもしますからっ!」
泣きそうになりながら、半ば自棄になったように、強い口調でそう言った。
あたしのその言葉に、ラオウの肩がピクリと少しだけ動く。
それを眼にしたあたしは、何となく嫌な予感が頭を過ぎった。
も、もしかして、あたしは自分の首を絞めたんじゃ…?
そう思った時には、もう既に遅かった。
ゆっくりと頭を上げたラオウの顔には、満面の笑み。
あたしの背中に冷たい汗が伝う。
「何でも…してくれるんだね?」
そう言ってニヤリと笑ったラオウの顔は、まさに道明寺のそれにそっくり。
そして、道明寺がそうやって笑う時は、大概、ろくでもない事を考えていたりするのだ。
「な、何でも…と言っても、あたしにも出来る事と出来ない事がありますが…」
ここまで来たら後には引けない。
何を言われるのかと冷や汗が背中に、米神に流れ落ちるのを感じながら、引き攣った笑顔でラオウにそう言った。
「大丈夫、とても簡単な事だから。」
そう言ってまた満面の笑みを浮かべるラオウ。
その顔が何となく嬉しそうなのは、あたしの気の所為だろうか…?
「な、何をすれば良いんでしょうか…?」
恐る恐るそう訊ねるあたしに、ラオウはほんのりと顔を赤く染めて、
「うん。つくしさんにね、お義父さんって呼んで欲しいんだ。」
と、言った。
………。
あまりに意外な事を言うラオウ。
あたしは彼が一体何を言っているのか分からず、そのまま固まってしまった。
「お〜い、つくしさん?大丈夫かい?」
離れた席からあたしに向って、そう言いながら手を振るラオウ。
それでやっとあたしは我に返った。
「だ、大丈夫です!あの、失礼ですが…。さっき総帥は何と仰いました?」
あたしの聞き違いだったかと思い、再度ラオウにそう訊ねるあたし。
そんなあたしに、ラオウは、
「お義父さんって呼んでほしいと言ったんだ。
私の計画では、もっと早くにつくしさんにお会いして、
今頃はお義父さん、一緒にお茶でもしませんか?≠ネんてつくしさんに誘われているはずだったんだけど…。
司がなかなか私につくしさんを紹介してくれなくてね。
仕方なく今回、少し強引だったけどつくしさんにここへ来てもらったんだ。」
と、あたしが眩暈を起こしそうな事を、笑顔で言う。
お義父さん?!
一緒にお茶?!
あ、有り得なさ過ぎる…
クラクラとして来た頭を必死で押さえながら、あたしはラオウが何を考えているのか確かめようとしていた。
するとラオウはフッと笑った後、穏やかな表情を浮かべて、言う。
「私はね、つくしさん。
司がN.Yにいるのは4年間だけだと言う事も、4年後、君を迎えに日本へ戻るつもりでいる事もちゃんと知っているんだ。
私の意見としては、司がそれなりの結果さえ出せば4年後は司の判断に任せようと思っていたんだ。
これは、楓も同じ意見なんだけどね。
つくしさんとの事も、反対するつもりなんてなかったんだよ。
だけど、多分司はそうは思ってないんだろうね。
私にまで何かされるんじゃないかと思って、きっと君を紹介してくれなかったんだと思うんだ。」
そう言って少し悲しそうに笑ったラオウの顔は、一人の父親としての顔のようにあたしには見えた。
「君を私や楓から護る事に必死な司に、何を言ってもきっと聞いては貰えないからね。
だから、司の父としての挨拶も兼ねて、つくしさんには私の考えを聞いてもらおうと思ってね。」
ラオウはそう言って、にっこりと本当の笑顔をあたしに向けた。
「お義父様とお呼びするのは、まだちょっと…。だから、おじ様と呼ばせて頂く訳にはいきませんか?」
道明寺の父として、本当の思いを話してくれたおじ様に、あたしだって応えたい。
道明寺のお母さんに妨害されてた事なんて、もう随分前の事。
そりゃ、考えられない程酷い事されたと思うし、憎みそうになった事だってある。
だけど、そんなあの頃がなければ、今のあたし達はいなかったと思う。
今でもあたし達がこうしてお互いを必要としていられるのは、きっと色んな事を2人で乗り越えて来たって言う自信があるから。
何があってもあたし達はお互いの手を離したりしないって、確信出来るからだと思うから…。
そう思えば、あの頃妨害を繰り返していた道明寺のお母さんに、少し自分から歩み寄ってみる努力をしても良いかな?なんて思う。
「仕方ないね…。今は、それで我慢する事にするよ。でも、司と結婚したらちゃんとお義父さん≠ニ呼んでね。」
おじ様はそう言って笑った。
「えぇ、その時は是非。」
そう言ってあたしとおじ様がお互いに微笑み合っていると、突然ダイニングのドアがバァーンと物凄い音を立てて開いた。